FC2ブログ

隨縁放曠(ずいえんほうこう)


「隨縁放曠」は何事も縁にまかせて自由に振舞い、物事にこだわらないこと。(今年のタイトルは漱石『草枕』の難解熟語)

 今回の短歌も『昭和万葉集秀歌 【三】 四季・自然』(講談社現代新書・上田三四二 編、昭和60年1月刊)から。作者名の後の数字は昭和何年の、或いは何年何月の発表かを示す。
 
 悲しみを窺(うかが)ふごとも青銅色(せいどう)のかなぶん一つ夜半に来てをり (宮柊二・23)
 
 s-1オクラ20180907
 オクラ。野菜の花の中で一番きれいだと思う。

 神のおそれひたにおもひつ葉ごもりにせみしぐれせる日ざかりをゆく (三島由紀夫・17.12)

 s-2ニラの花20180907
 ニラとセセリチョウ。 (S先輩からご教示あり、以下の青字も同様。)

 忘れゐしものの心地に佇ちて聴く夕日の丘のかなかなの声 (太田青丘・25)

 s-3キアゲハ20180907
 モミジアオイとキアゲハ。

 日照雨しばしば草に降りしかば今日の日暮のかなかなきこゆ (植木正三・31)

 s-4タイカンマツバギク20180907
 タイカンマツバギク(耐寒松葉菊)。

 那須野路は秋近みかも煙草の葉摘まれて畑のあらはになりぬ (蓮実彊・24.10)
 
 s-5フランスギク20180907
 フランスギクかな?

 月冴ゆるこよひは雲のゆきかひのはや秋づくと夫(つま)がいふかも (北見志保子・25)

 s-6酔芙蓉①201809071116
 スイフヨウ(酔芙蓉)、11時13分。夕方に赤みを帯びてくるから「醉い」芙蓉。還太郎と同種。

 川に沿ひ山へちらばる町の灯をぬらし滲(にじ)ましふる小夜(さよ)しぐれ (川合玉堂・21.1)
 *「小夜しぐれ」=夜に降る時雨。

 s-7酔芙蓉②201809071238
 スイフヨウ、12時36分。

 あらざらむのちを思ふといふならね落葉の上に落葉つもりぬ (大井広・27) 
 *「あらざらむのち」=死後。

 s-8酔芙蓉201809071519
 スイフヨウ、15時19分。
 
炉の端(はた)にこほろぎ一つわが家にすぎたるものの如く鳴き澄む (木島冷明・38)

 s-9ダリア20180907
 ダリア。 ヒャクニチソウ。

 二見の浦朝靄(あさもや)遠く晴れそめて神代のままの天つ日のぼる (井上哲次郎・18.12)
 
 s-10咲き残りのダリアの花に20180907
 キアゲハ。

 あかつきのまだ暗きなかを目覚めゐぬこの世の鳥は地(つち)の底に啼く (前川佐美雄・22)

 s-11咲き残りのダリアの花に②20180907
 セセリチョウ。

 沿いてゆくゆふあかり田にそそぎ入る水はしづかに萍(うきくさ)ながす (山本友一・28)

 s-12ケイトウ20180907
 ケイトウ。

 たましひをふかく吸ひ込む夕暮やはなだの色ぞたゆたひにける (尾山篤二郎・36)
 *「はなだの色」=うすい藍色。
 
 s-13黄色の花20180907
 カタバミ(アカカタバミとも)。

 椎の葉にながき一連の風ふきてきこゆる時に心は憩ふ (佐藤佐太郎・27)
 
 s-14黄色の花②20180907
 カタバミ。

 わが踏める地平の果てに沈む日を信濃より来てなつかしみ見る (窪田空穂・26)

 s-15ツユクサ20180907
 ツユクサ。

 うつしみに何の矜持(きょうぢ)ぞあかあかと蠍座は西に尾をしづめゆく (山中智恵子・32)
 *「矜持」=誇り。

 9月8日の午後から土浦・上野へ2泊3日の小旅行。友人たちと夜の飲み会2回、昼食会1回。10日昼にいわきへ戻った。以下の写真は土浦市で撮ったもの。

 s-レンコン田20180909
 収獲が始まったレンコン田。軽トラが何台も見える。霞ヶ浦の向こうは土浦市街。

 なく鳥は御堂へだてしおく山の杉の木間(このま)にあつまるらしも (岡麓・32)
 
 s-紫の花20180908
 ツルマメかな?

 槌音にはたとやみたる蟋蟀(こほろぎ)のまた鳴きつぐを待てばひそけし (塚原嘉重・32)
 
 s-ミゾハギ20180908
 ミソハギ。

 秋刀魚の詩(うた)子にきかせつつわが家の青き蜜柑の酸(す)をしたたらす (番場美津子・32.10)
 *「秋刀魚の詩」=佐藤春夫の「秋刀魚の歌」。

 s-ヌマトラノオ20180909
 ヌマトラノオ。

 いま読んでいる本はドナルド・キーン著・金関寿夫訳『百代の過客』上巻(朝日選書・1984年7月刊)。実は1988年刊の『続・百代の過客』上下2冊を同年に買って読んでいる。読み終えて「続・・・」であることに気づいたが、それから30年、「続・・・」でない方も読みたいと時々は思い出したりしていたが、先週Amazonで購入。
 『百代の過客』では僧円仁の『入唐求法巡礼行記』から川路聖謨の『長崎日記』について、『続・百代の過客』では村垣淡路守範正の『遣米使日記』から永井荷風の『新帰朝者日記』について評論。

 皆さま、御機嫌よう❢

閑人適意(かんじんてきい)

「閑人」は特にすることのない、暇な人。または、風流な人。「適意」は思うままに振舞うこと。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語)

 今回の短歌は『昭和万葉集秀歌 【三】 四季・自然』(講談社現代新書・上田三四二 編、昭和60年1月刊)から。作者名の後の数字は昭和何年の、或いは何年何月の発表かを示す。

 今日は8/30。この何日か、いわきではめったにないような強烈な雷雨がある。朝晩は大分涼しくなった。晩夏と初秋のせめぎあい。しばらくぶりに田人路へ。林道を2時間ほどドライブ。冷涼な林間は快適。秋の気配。

 滝しぶきかかれるそこら一めんの藺草(いぐさ)の色の青きすがしさ (金子薫園・3.7)
 
 *「藺草」=イグサ科の多年草。湿地に生える。茎を畳表などに用いる。

 s-森林20180830
 
 山ふかく細き流れのせくところゆすられている虎杖(いたどり)の花 (今井邦子・6)

 *「せくところ」=せばまっているところ。「虎杖」=タデ科の多年草。若芽はウドに似。紅色の斑点がある。夏、淡紅色、または白色の花を穂状に開く。若芽を食用とし、根は薬用とする。

 s-森林③20180830

 うす紅き枝はかくれて しみじみと ははきの花も咲きそめりけり (東城士郎・44)

 *「ははき」=帚木(ほうきぎ)。アカザ科の一年草。夏、淡緑色の細花をつける。

 s-森林②20180830

 わが心かすか明るむ思ひして宵の衢(ちまた)に蛍を買ひぬ (岡井弘・7.8)

 s-チョウ20180830 (1)
 あいにく側面しか撮れなかったアゲハチョウ。

 かぐはしのみやまのきのこ籠(こ)にもらば羊歯(しだ)につつみてねもごろにせむ (小川千甕・2.4)
 
 *「かぐはしの」=かぐわしい香りがする。「ねもごろに」=ていねいに。

 s-キノコ20180830

 ゆふ闇の空をとほりていづべなる水にかもゆく一つ蛍は (斎藤茂吉・15)

 s-キノコ②20180830

 うす紅のつりふねさうの花のゆれやぶかげに見て行きすぎかねつ (熊谷武雄・9.11)
 
 *「つりふねさう」=釣舟草。ツリフネソウ科の一年草。山麓や水辺に自生し、秋、茎の先にホウセンカに似た紅紫色の花をつるす。

 s-ツリフネソウ20180830
 ツリフネソウ。

 夕立の雨うちふれり庭のへにひとつの蝉の啼きとほるこゑ (土田耕平・8)

 s-なにかな20180830
 ノダケ(S先輩からご教示有り。以下の青字も同様。)

 秋は来ぬうしろの山の葛の葉の葉うらさびしくもなりにけるかな (谷崎潤一郎・52)

 s-なにかな②20180830
 ダイコンソウ。

 蟋蟀(こほろぎ)の音(ね)に鳴くころとなりにけり夜はすがらに蟋蟀ぞ鳴く (堀内通孝・16)
 
*「夜はすがらに」=一晩中。

 s-ホタルブクロ20180830
 ホタルブクロ。 ツリガネニンジン。

 稲原の早生穂(わせほ)にしろく照る月は夜ごとに明し山の峡(かひ)にも (中村憲吉・9)

 s-ホトトギス20180830
 ヤマジノホトトギス。
 
 薄紙の中に蛍を光らせてたからのごとく子は持ちまわる (小田清一・11)
 
 s-ホトトギス②20180830
 ヤマジノホトトギス。

 雲母雲(きららぐも)薄う漂ふまなかひの秋をはるかに駆ける鳥かも (安西冬衛・2.11)

 *「雲母雲」=雲母のような薄雲。

 s-薄紫の花20180830
 ヤマハッカ。

 白菊はただつつましき花ながら月のてらせばたけたかくみゆ (橋田東声・10)

 s-白い花②20180830
 ゲンノショウコ。

 あかつきの蝉のひとこゑが諸声(もろごゑ)を誘ふあはれをききとめにけり (吉野秀雄・22)
 
 *「諸声」=和して発する多くの声。

 s-黄色の花②20180830
 オミナエシ。

 閼伽桶(あかおけ)に捧げし秋の七草ははかなきまでに清(すが)しかりけり (青柳競・28)

 *「閼伽桶」=仏に供える水を汲みいれる手桶。
 
 s-白い花20180830

 昼しぐれ降り過ぎたれば白萩は下枝(しづえ)の花をあまた散らせり (君島夜詩・10)

 s-黄色の花20180830
 オトギリソウかな? キンミズヒキ。

 秋澄みて散りのこりたる花蓮(はなはちす)とよみはつたふ広き池の上 (吉田正俊・16)

 *「とよみ」=どよめき。

 s-ソバ2010830
 白く見えるところはソバ畑。手前の水田の周囲にイノシシ除けの電線が張られており、ソバ畑には近づけなかった。

 いわきに来たら、昼は畑仕事や実家の裏ヤブの伐採等々の力仕事。よって晩酌をするとすぐ眠くなってしまう。そんなことで暫く本を読んでいなかった。こりゃあいかんと思い、大好きな葉室麟の作品でまだ読んでなかった『あおなり道場始末』(双葉社)を入手。葉室麟の作品にしては珍しく「痛快 ! エンターテインメント時代小説」。一日で読了。その勢いのまま、何年もツンドク状態だった北方謙三の『史記・武帝紀』全7冊(角川春樹事務所)に取り掛かり、悪天候の日が続いたこともあって1週間で読了。まあ、スーパーマンが活躍する劇画みたいなものと言えないこともないが、始皇帝と並び比較される武帝の武帝たるところ、その孤独や逡巡と決断、武帝に仕える官僚や軍人の苦悩等々、北方謙三に引き回されるように読んでしまった。 
 次いで、社会思想家・佐伯啓思の『死と生』(新潮新書)。この類の本には珍しく、何のことかさっぱり理解できないなんてことは書いてない。簡単に言えば、「死は誰も経験していないのだから、誰もわからない。誰もわからないことを心配しても意味がない。ただ、死は避け得ないのだからこそ、生を充実させよう」ということ。

 皆さま、ご機嫌よう ❢ 

楮毫(ちょごう)


「楮毫」は紙と筆の意。「楮」(こうぞ)は和紙の原料となる植物。「毫」は筆の穂先。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語)

 今回は、過去の写真から涼しげなものを選んでブログを作った。短歌は『昭和万葉集秀歌 【三】 四季・自然』(講談社現代新書・上田三四二 編、昭和60年1月刊)から。作者名の後の数字は昭和何年の、或いは何年何月の発表かを示す。

 (あかとき)とおもふばかりにあかるきは月のひかりのさしそめにけむ (藤川忠治・31)

 s-江竜田の滝
 江竜田の滝(4葉)

 海
 海に向く窓より海はみえなくに甍(いらか)の上にひくき岬山(さきやま) (五味保義・16)

 s-江竜田の滝①

 かたまりて昼顔咲ける砂山をめぐりて潮の満ちくる音す (中嶋真珠・10.9)

 s-江竜田の滝③

 磯に寄せてきほひ脹(ふく)るる大き浪ひかりを巻きて打返りたり (杉浦翠子・3)
 
 s-江竜田の滝②

 渦なせる逆さ白波はひろごりて押しうつりゆく潮ゆたかなり (松田常憲・7)

 s-四時川渓谷
 四時川渓谷(3葉)
 
 兄島を榜ぎ回(こぎた)み行けばちちのみの父島見えつ朝明(あさけ)の海に (中島敦・35)
 *「榜ぎ回み」=船を漕ぎめぐり。「ちちのみの」=「父」にかかる枕詞。

 s-四時川渓谷②

 立山の外山(とやま)が空の蒼(あお)深み一つの鷲の飛びて久しき (川田順・15)

 s-四時川渓谷③

 山頂に雷鳴ありて幾度か保安器を撃ち青き火を放つ (新田次郎)

 s-小浜海岸
 小浜海岸

 三原山噴くにかあらむ御神火の常ことなりて今宵かぐろき (海野潔・9.3)
 *「御神火」=火山の噴火を神聖視していう語。「かぐろき」=黒い。

 s-鮫川大橋
 鮫川大橋

 稲原の早生穂(わせほ)にしろく照る月は夜ごとに明し山の峡(かひ)にも (中村憲吉・9)

 s-蓮
 ハス

 以下、『現代短歌の歩み』(武川忠一著・飯塚書店・2007年6月刊)に依る。

 窪田空穂に『捕虜の死』という大長編の長歌がある。万葉集以来の最大長編。次男茂二郎のシベリア抑留中の死を悼んだもの。茂二郎の死は生還した戦友から昭和22年5月に知らされた。空穂は病床にあり、70歳。それでも残された力を振り絞って、五連・二百二十九句の最大長歌を詠んだ。

 捕虜の死   窪田空穂

 兵として北支派遣軍下にありし次男茂二郎、久しく消息を絶ち、生死すら不明にて過ごせるが、五月中旬、茂二郎が戦友の一人なりといふ米村英男君、はからずも我が家を訪はれ、茂二郎の消息を傳へらる。同君も茂二郎と同じく身體弱きため、入隊以来三年間、あやしくも行動を共にし、その一切を知悉せるにより、仔細に告げられしなり。茂二郎は終戦直前、北支より内地防衛軍に向けられし汽車中、ソ聯開戦によりて満州に移され、終戦と共に捕虜としてシベリアなるイルクーツクチェレンホーボに捕虜の身となれるが、二十一年二月十日、発疹チフスに罹り、死去せりといふ。今より一年三箇月前のことなり。我は床上の身として親しく聴くを得ず、章一郎の傳ふるところを聴きて胸臆に反芻するのみ。

 
 シベリアの涯なき曠野、イルクーツクチェレンホーボの バイカル湖越えたるあなた、炭山を近く望みて あはれなる宿舎むらがる。名にこそは宿舎ともいへ、土浅く廣く掘りては かりそめの仮屋根葺き 出入り口一つ設けし 床すらもあらぬ土室、戦前は囚人住みて 勞役に服せるあとか。かかる室ならび群がり 鐵條網めぐらす内に、在満の我が兵五千 捕虜として入れられにける。

 s-夕焼け20180809

 厳冬のチェレンホーボは 氷點下五六十度か、言絶ゆる畏き寒威 人間の感覚を斷ち、おのが息眞白き見ては 命なほありと思ふに、勞役の搾取のほかは 思ふなき國にかあらし 働かぬ冬は食ふなと 生きの命つなぐに足らぬ 高粱のいささか與へ 粥として食はしむるのみ。夜となれば床なきままに、土に置く狭き板の上 押竝び二人いねては、一枚の毛布をかぶりて 軆温をかよはし眠る。目的を失へるどち 言ふことの何のあらむや、つぶやくは常つづく饑 眼に迫る戀しき祖國、口にすれば暫しまぎるる かひあらぬ訴のみなる。

 s-夕焼け②20180809

 わりなきはただ一着の 身につくる軍服かな、薄くして寒氣のとおり、著きらしてぼろぼろなるに、著がへなきそのシャツをしも、おのれ等が巣どころとなし 饑うる身を食となしつつ ふえにふゆる虱の族よ、その數は幾そくばくぞ。臍のあたり手もて探せばいく匹をとらへは得れど、脱げば身のこほる寒氣に 捕り減らすことすらならぬ。全員の五千に巣くふ この虱チフス菌もち、吸ひし血に代へて殘せば、あはれ見よ忽ちにして大方は病者となりつ、高熱にあへぎにあへぐ。醫師をらず薬餌のあらず、あるものは高粱のみの、この患者いかにかすべき。悲しきは生を欲する 人間の本性なるよ、食はざれば死せむと思ひ 強ひてすする堅きその粥、衰へし腸ををかして 一たびの下痢を起せば、その下痢やとまる時なく 見る見るに面形かはり、物言ひをしつつ息絶ゆ。ここの水ははなはだ惡るし 高熱の渇きこらへて 飲むな夢と相警むれ、飲まざるも命堪へえで 一日に何十人は 息せざる者となりゆく。チェレンホーボ長き一冬、千人や屍軆となりし。

 s-夕焼け③20180809

 戦友のこの悲しきを いかさまに葬りなむか、全土ただ大氷塊の 堀りぬべき土のあるなし。ダイナマイト轟かしめて 氷塊に大き穴うがち、動きうる人ら掻き抱き その中にをさめ隠しつ。初夏の日に氷うすらぎ あらはるる屍軆を見れば、死ぬる日の面形保ち さながらに氷れるあはれさ。その屍軆トラックに積み 囚人の共同墓地ある 程近き岡に運びて、一穴に五人を葬り、捕虜番號書ける墓標を 人の身の形見とはなし、千人の戦友の墓 さびしくも築き竝べけり。

 s-夕焼け④20180809

 死を期して祖國を出でし 國防の兵なる彼等、その死のいかにありとも 今更に嘆くとはせじ。さあれ思ふ捕虜なる兵は いにしへの奴隷にはあらず、人外の者と見なして 勞力の搾取をする 奴隷をば今に見むとは。彼等皆死せるにあらず 殺されて死にゆけるなり、家畜にも劣るさまもて 殺されて死にゆけるなり。嘆かずてあり得むやは。この中に吾子まじれり、むごきかな あはれむごきかな かはゆき吾子。


 八月は千万の死のたましずめ夾竹桃重し満開の花 (山田あき・『現代短歌集成3』から。角川学芸出版刊)

 皆さま、ご自愛専一に願います。 

虬竜の怪(きゅうりゅうのかい)


 「虬竜」は中国の伝説中の瑞獣で、神馬であり、馬が八尺以上になると竜になる。その竜の中で二本の角のある竜が虬となる。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語)

 今回の短歌は『昭和万葉集秀歌 【三】 四季・自然』(講談社現代新書・上田三四二 編、昭和60年1月刊)から。作者名の後の数字は昭和何年の、或いは昭和何年何月の発表かを示す。

 葦の葉にゆれつつすがる行々子(ぎょうぎょうし)声啼くときに口あかく見ゆ (松村英一・9.6)
 *「行々子」=オオヨシキリ。葦原草原に住み、「ギョッギョッ」と囀る。

 s-朝霧の須賀海岸2180727
7/27、朝霧の錦須賀海岸。

 降る雨に五位鷺渡るすがしさよ苗田の中に白き影ひく (田中藤太郎・11.9)

 s-ユリ20180727

 深山木(みやまぎ)のはるかに高きこぬれより、朝雲わきて夏は来にけり (安東聖空)
 *「こぬれ」=木末。こずえ。

 s-メマツヨイグサ20180727
 メマツヨイグサ。

 ふるさとの盆も今夜はすみぬらむあはれ様々に人は過ぎにし (土屋文明・10)


 s-平衡感覚20180727
 平衡感覚!

 夏の草花
 吹き過ぐる風は乾けりかがやかに揺れては紅き芍薬の花 (川田順・6)

 s-ミズナス20180730
 以下、7/30の畑で。水ナス。

 瀝々(れきれき)と吹き上ぐる風に火の山は朱のつつじの波荒立てり (鶴見和子・14)
 *「瀝々と」=みずのしたたる音や風の時折ふくさま。

 s-ピーマン20180730
 ピーマン。

 おもはざる森のたかきに咲き垂れて花房長き藤を見にけり (石井直三郎・13.3)

 s-ピーナッツ20180730
 ピーナツも元気に成長中。

 泰山木の花はゆふべにおとろへて広葉(ひろば)がくりにすでにかそけし (森川汀川・9.8) 

 s-トウモロコシ20180730
 今年のトロモロコシはカラスの攻撃を受けてない。なぜ? 
 
滝しぶきかかれるそこら一めんの藺草(いぐさ)の色の青きすがしさ (金子薫園・3.7)
 *「藺草」=イグサ科の多年草。湿地に生える。茎を畳表などに用いる。

 s-キュウリ20180730
 キュウリは朝夕2回収穫。

 山ふかく細き流れのせくところゆすられている虎杖(いたどり)の花 (今井邦子・6)
 *「せくところ」=せばまっているところ。「虎杖」=タデ科の多年草。若芽はウドに似る。紅色の斑点がある。夏、淡紅色、または白色の花を穂状に開く。若芽を食用とし、根は薬用とする。

 s-カボチャ(ほっこり姫)20180730
 カボチャ「ほっこり姫」の花。
 
うす紅き枝はかくれて しみじみと ははきの花も咲きそめりけり (東城士郎・44)
 *「ははき」=帚木(ほうきぎ)。アカザ科の一年草。夏、淡緑色の細花をつける。

 s-西瓜20180730
 西瓜も甘くておいしくできた。
 

 わが心かすか明るむ思ひして宵の衢(ちまた)に蛍を買ひぬ (岡井弘・7.8)

 s-スベリヒユ②20180730
 サツマイモの畝間を覆い尽す「スベリヒユ」。とにかく成長が早い。引き抜いて放置して10日ほどたっても枯れない。それどころか茎から根を出して甦ってしまう。

 薄紙の中に蛍を光らせてたからのごとく子は持ちまわる (小田清一・11)

 s-スベリヒユ③20180730
 一株でこんなにも育つ。厄介な雑草なのだが、ω-3脂肪酸を多量に含む健康食品であり、山形県では「ひょう」と呼び、茹でて芥子醤油で食べるという。沖縄県では「念仏鉦」(二ンブトゥーカー)と呼ばれ、葉物野菜の不足する夏場に重宝されるとも。トルコやギリシャでも食される由。ならば、サツマイモではなくスベリヒユを栽培すればひと夏に何回も収穫できるのだが・・・?

 ゆふ闇の空をとほりていづべなる水にかもゆく一つ蛍は (斎藤茂吉・15)

 s-スベリヒユ①20180730
 黄色のかわいらしい花も咲かせる。
 

 あかつきの蝉のひとこゑが諸声(もろごゑ)を誘ふあはれをききとめにけり (吉野秀雄・22)
 *「諸声」=和して発する多くの声。

 s-百日紅20180730
 サルスベリ。

 夕立の雨うちふれり庭のへにひとつの蝉の啼きとほるこゑ (土田耕平・8)

 s-カスミソウ20180730
 花期は過ぎて枯れ始めたカスミソウに夜来の雨が付き、満開の花のようになった。

 川鴉なきすぎゆきぬたぎつ瀬のたぎち輝き流るるうへを (若山牧水・13)

 s-オニユリ20180730
 多分、オニユリ。

 「平日に家にいる」という不思議な感覚にも慣れてきた。還太郎の住むアパートには16台分の駐車場があり夜は満車になるが、日中は2,3台しかない。皆さん「お勤め」にお出掛け。近くの総合病院の駐車場は朝から満車状態だけど、日中のコンビニはガラガラ、役所に行ってもほとんど待たされない・・・。満員電車ではなく、いつでも座れる電車状態。とにかく街全体が静か。
 
 明日から8月ですね。皆さま、お元気にお過ごし願います。
 

溌墨淋漓(はつぼくりんり)

溌墨淋漓(はつぼくりんり)は筆に墨をたくさん含ませて、勢いよく雲や煙などの風情のある様子を描くこと。「溌墨」は水墨山水画の技法の一つで、墨の濃淡の変化を使い、明暗を表現したり、墨をはね散らしたりして表現する画風。「淋漓」は勢いがあふれ出ている様子。(今年のタイトルは漱石『草枕』の難解熟語)


 今回も短歌は『昭和万葉集秀歌 【二】 相聞と挽歌』(講談社現代新書、岡井隆 編、昭和59年12月刊)の「病床の日に」から。作者名の後の数字は昭和○年○月の発表かを示す。年のみの表示もあり。

 しばらくを抱き起されて見る小庭わが播しものなべて芽吹ける(鶴逸喜・31.9)
 
 s-出荷20180705
 7/5の出荷品。左から白タマネギ、ジャガイモ、カボチャ(ほっこり姫)、紫タマネギ。楽しむことが優先なので、基本的には少量多品種栽培。ただ、サツマイモとカボチャは雑草対策も兼ねてやや多い。

 李白の詩読み終へし時住み古りしこの病室を狭くおぼゆる(峰梨花・30.3) 
 
 s-はやと20180709
 「はやと」という品種。見てくれはゴツゴツとしているが、包丁がすんなり入る柔らかさ。中辛のカレーに入れて食べたら、ジャガイモよりも煮崩れせず、もっちりしていてなかなか美味。ただ、いわきではなじみがないようで、売れゆきは芳しくない。 妻からは「気の利いたPOPを作るように」との御下命あり。

 何待つとなき半身を起こしをりほたるの光と息づきあひて(相良宏・31)

 s-くもの巣にあめ20180706
 蜘蛛の巣に雨。 

 泣きながら生(あ)れ来しときも一人ゆゑ死にゆく時もひとりと思ふ(滝沢亘・28.10) 

 s-紫の花20180706
 ヒメランタナ。

 血を吐きてゐれば父母らが暗闇にこもごも顕(た)ちて我を励ます(黒須牧郎・29.12)
 
 s-まだら模様の花②201807
 ヒャクニチソウかな? 不気味 !

 母にすがり向きかへ臥せば鮮(あたら)しき麦生のみどりよ吾は生きたし(千葉千代子・50)

 s-まだら模様の花201807
 こちらも不気味 ‼

 ふるさとの野川の氷ひび割るる音ときこえて肋(あばら)切られをり(伊藤祐輔・28.9)

 s-キク201807
 タイカンマツバギク。

 ハンセン氏病
 (らい)を病む我を見給ふ父の眼は死ねよと如し生みの子我に(瀬戸愛子・28)

 s-蓮20180706
 スイレン。

 6/29にいわきへ引っ越した。2,3日は片付けやら種々の手続き。そして7/7には、いわきから車で1時間強の母畑温泉「八幡屋」に1泊。兄弟とその伴侶たちが集まって母の卒寿の祝い。食事も温泉も言うことなし。翌朝の朝食バイキングも素晴らしかった。
 9日からは妻の指導のもとで本格的に畑仕事に参加。「晴耕雨読」を気取ってみたが、晴天続きで「晴耕」ばかり。「雨読」の日がない。土日だって晴れていれば畑に「出勤」。 まあ、そうはいっても11、12日は都内で飲み会。15日もいわきで飲み会。
 
 皆さま、くれぐれも熱中症にはご用心願います。(写真編集ソフトの調子が悪く、今回は短編になりました。)

面前に娉婷(ひょうてい)と現れたる姿に

娉婷(ひょうてい)は女性の穏やかな美しさがあること・そのさま。(今年のタイトルは漱石『草枕』の難解熟語。)

 今回も短歌は『昭和万葉集秀歌 【二】相聞と挽歌』(講談社現代新書・岡井隆 編・昭和59年12月刊)から。(作者名の後の数字は昭和何年何月の発表かを示す。何月か不明の場合は何年かのみ。)

 木隠(こがく)りの芝に陽の斑(ふ)を静かに踏み君去りゆけば佇(た)ちて見送る(中西進 28.6)

s-発電所20180701
  6月29日、還太郎は土浦市から福島県いわき市へ転居。翌30日には引っ越し荷物もほぼ片付き、7月1日、早朝散歩へ。上掲の写真は鮫川河口付近。5時17分。対岸の石炭火力発電所が朝霧に囲まれている。

 たなぞこを重ね寂しさをわかち合ふ風鳴る高き窓に向ひて(山口智子 28.2) 
 *たなぞこ=たなごころ、てのひら。

 s-釣り人20180701
 5時35分、朝霧は更に深くなるが、20~30m間隔で太平洋に向かい立つ釣り人は怯む様子なし。
 
 もろこしの穂に月ありしかの夜よふるへて我を抱き給ひき(福田節子 27.6)

 s-アザミ20180701
 ノアザミ。
 上掲の写真以下は、海岸沿いの防風林の中を通る小道で。「防風林」ということで、一定の手入れがなされている様子。日射しも避けられるので、絶好の徘徊コースかも。
 
 灰黄(くわいくわう)の枝をひろぐる林みゆほろびなむとする愛恋ひとつ(岡井隆 28.6)

 s-白い花20180701
 スイカズラ。

 快活にほほえみいしが美しき頬をつたいて落ちしひかりよ (篠弘 32)

 s-赤い花②20180701
 バラ。

 かなしみの遂に祈りのごとくなるこの夜半ひそかに君の名を呼ぶ(荒金千代 31.6)

 s-黄色の花20180701
 メマツヨイグサ。

 君住める故に愛せしこの街の雪積む駅の停車短く(葉山宣淳 33)

 s-赤い花20180701
 ヒメオウギズイセン。

 雪しろの はるかに来たる川上を 見つつおもへり。斎藤茂吉(釈迢空 30)

 s-黄色の花②20180701
 オオキンケイギク。

 みいのちは今日過ぎたまひ現身(うつしみ)の口いづるこゑを聞くこともなし(佐藤佐太郎 31)

 s-ネギ畑20180701
 鮫川の堤防の内外の農地はネギ畑が多い。収穫時期をずらすべく何回かに分けて植えている。なかなか一直線というわけにはいかない。

 今日の歩数10,706歩。体重もあと600gで70kg台。明日はサツマイモ植え付け用の畝を100mほど作るので、明日にでも「夢の70kg台達成」かな ❢
 皆さま、もう梅雨明けとか。暑くなります。ご自愛専一に願います。



齷齪(あくそく)

 齷齪(あくそく)。心にゆとりがなく、目先のことに追われてこせこせと気ぜわしく事をするさま。青空文庫では「あくそく」とルビがふってあるが「あくせく」とも。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語)

 今回の短歌は『昭和万葉集秀歌』の【二 相聞と挽歌】から。作者名の後の数字は作品の発表時期(22.12は昭和22年12月)。

 戦ひに命死ぬべしと別れたりき吹雪(ふぶ)きて青き夜の窓なりき(河村盛明 22.12)

 s-朝露20180624
 スギナ。

 今回の写真は6/24いわきにて。

 戦につづく幾とせのきびしきをけふのいのちありて君に会ひにけり(赤谷昭枝 25.1)

 s-朝の景色20180624

 絹マフラー色はなやかに笑み来るを枇杷の花匂ふ樹の陰にまつ(小山智士 23.2)

 s-茗荷と蕗20180624

 うるはしき水無月の野路いそぐとき待たるる人とわれを思ひぬ(佐藤春夫)

 s-朝の景色④20180624

 思ひ浮かぶかの日の別れ青芝に汝(な)れが影あはく長くうつりゐき(山本成雄 23.8)

 s-朝の景色③20180624

 逢ふ日あり逢はぬ日ありて青麦のさやさやとこころ君にかよへる(金井明 26.7)

 s-朝の景色②20180624
 ムラサキツユクサ。

 逢わむ日を心に待てば美しくなりたしと念(おも)うかなしきまでに(前田安津子 23.10)
  
 s-紫陽花20180624
 アメリカノリノキ「アナベル」
 
 訪ね行き君に見せむと結いにける我がくろかみに春の雪ちる(栗谷節子 22.5)

 s-桔梗20180624
 キキョウ。

 乾草のかぐはし中に身を投げて目閉(とぢ)る時にふれて来よ君(森下真理 23.8)

 s-薔薇20180624
 バラ。

 むらさきの日傘の色の匂ふゆゑ遠くより来る君のしるしも(川田順 27)
 *「匂ふゆゑ」は美しく映えるので。*「しるしも」は著しも。きわだっている・はっきりしている。

 s-花②20180624
 ペンスモンテン。

 わがこころの環(たまき)の如くめぐりては君をおもひし初めに帰る(川田順 27) 
 *「環の如く」はめぐりめぐってきわまるところのないことのたとえ。

 s-花20180624
 ヒメランタナ。

 春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子(中条ふみ 29) 

 s-ダリア20180624
 ダリア。

 剪毛(せんもう)されし羊らわれの淋しさの深みに一匹づつ降りてくる(中条ふみ子 27)

 s-ダリア②20180624

 思ふ人あらば君疾(と)く癒えなんと言ひし医師(くすし)をひそかに愛す(小島和子 30.12)

 s-ダリア③2010624

 明日の逢ひを約して丘を下る視野に海に続かむ川展(ひら)けたり(山本詞 31.5)

 s-シソ20180624
 シソ。

 やはらかく雑草の丈に閉ざされて座れば君に月さしにけり(馬場あき子 30.9)

 s-いただきもの20180624

 還太郎は6月末にいわき市へ転居する。上掲の写真は送別会で頂いたもの。花束のほかにもいろいろなお餞別品をいただいたが、最も多かったのはお酒。土浦に住んだこの1年間、毎日会社に行くのが楽しみだった。職場の仲間に感謝。
 ということで、7月からは、いわきにいる92歳の義母と90歳の実母に親孝行の真似事をしつつ、妻の指導を受けて野菜作りに励むことに。これからもブログは続けるので、絶滅危惧種的に少ない弊ブログの読者の皆さま、引き続きよろしく。

 皆さまのご健康を祈っております ! 実は今日も送別会なのであります・・・。

弊竇(へいとう)

弊竇(へいとう)、の「竇」は穴の意。弊害となる点。欠陥。「今代芸術の一大弊竇は・・・」。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語。)

 今日は薄曇りで午後時々晴れ。一昨日と昨日、そして今日も午前中は長袖のポロシャツを着用。半袖では寒い ! 9時過ぎからご近所のお庭の鑑賞しつつ散歩した。
 
 今回の短歌は講談社現代新書『昭和万葉集秀歌 〔二〕相聞と挽歌』(岡井隆 編・昭和59年12月20日刊)から。

 相逢はぬ日を重ねつつたな雲の夕づく頃はひとり嘆くも(中島勝)

  s-バラ20180617
 バラ。

 告げがたき思ひにふるふわれの手に大き蛍を娘(こ)は呉れにけり(岩田清)

 s-バラ②20180617
 バラ。

 葉をこぼす木の間あかるし先ゆきて言葉少なき人をさびしむ(鶴見英之)

 s-黄色の薔薇20180617
 ダリア。 

 逢へる夜の時じくの雪顔臥せて歩める汝(なれ)が額(ひたい)ぬれつつ(相沢正) *「時じく」は季節はずれの意。
 
 s-ピンクの花2180617
 アルストロメリア。

 後髪(おくれげ)に触(ふ)りつつわれのきよかりき雪ある舗道に小雨ふり出づ(松坂二郎)  
 
 s-ブルーベリー②20180617
 ブルーベリー。

 あわただしく過ぎゐる吾にかぎろひの夕べの逢ひはたまゆらなりし(五味保義) *「たまゆら」はわずかの時間の意。
 
 s-黄色の花20180617
 ヘメロカリス。

 手を垂れてキスを待ち居し表情の幼きを恋ひ別れ来りぬ(近藤芳美)

 s-黄色の花③20180617
 イヌガラシ。

 みつめゐる君が面(おも)わの眩しければサン・テクジュペリのことを話し出(いだ)しぬ(近藤とし子)

 s-合歓の花20180617
 ネム。

 我が若き思ひのすべて街を往く君を包みて夕霧となれ(加太こうじ)

 s-狛犬20180617

 うつつなくわれら相より月かげに遠潮鳴(とおしおな)りの音をききにき(坂東房子)

 s-紫の花20180617

 月読(つきよみ)の蒼き光もまもりませ加那(かな)(ゆ)き給ふ海原の果て(島尾ミホ)  *「月読」は月の神または月の意。「加那」はあなた、君の意。

 s-赤い花③20180617
 ダリア。

 わが想う人も恋ふらめ山の上(へ)の明けなむとする薔薇光(かげ)のそら(島尾ミホ)

 s-青い花④20180617
 ムラサキツユクサ。

 ふり向かず別れては来ぬ別れ来て冬木の道に涙こぼしき(潮霧子)

 s-赤い花②20180617
 アルストロメリア。

 リラの花卓のうへに匂ふさへ五月(さつき)はかなし汝(なれ)に会わずして(木俣修)

 s-青い花②20180617
 グラジオラス。

 汝が吐息頬近うまでおぼゆるを愛しきものと眼(まなこ)とぢをり(村尾公) 

 s-赤い花20180617
 ダリア。

 泥まみれの天使のようなお前、そっと抱けば空に立つ虹(前田透)

 s-青い花20180617
 キキョウ。

 くれなゐの苺の汁を吸ふごとき戯れをもて唇(くち)触り給ふな(杉浦翠子)

 s-新葉20180617
 シロダモ。

 あさあけに白き帆船を夢みたり醒めてこほしきわがこころづま(服部忠志)

 s-紫陽花③20180617
 アジサイ。

 見出(みいだし)たる嬉しさに叫ぶ妹の声か木魂となりて再びは聞こゆ(遠藤正人)

 s-紫陽花20180617
 アジサイ。

 お茶の水崖のつたの葉紅(あけ)にそみ妻となる娘(こ)を思ひつつ見る(木山捷平)

 s-紫の花⑥20180617
 トキワハゼ。

 まがなしき心きはまりたまさかに逢ひ得し君を泣かしめにけり(山口茂吉) *「まがなしき」はいとしいの意。

 s-蝶20180617
 アゲハチョウ。

 蒲の穂にさやに霜降り冷ゆる夜を君と相寝るさちを恃(たの)まむ(山口茂吉) 

 s-白い花20180617
 ダリア。

 人生のはじめてにしてきみと聴く谷川の音ほかはなかりき(岡山たづ子)

 s-白い花②20180617
 インドハマユウ(クリナム)。
 
 添ひて座る吾妹(わぎも)はいまだいとけなし南京玉を指にはめたり(白駒一義) *「南京玉」は小さな穴のあいた陶製やガラス製の玉。
 
 s-白い花③20180617
 ニンジンかな?
 
 
 ふくろふは雪降る夜半も鳴くと云ふ覚めて歎きて君はききけむ(森本康子) 

 s-白い花④20180617
 ハコベ。

 おもひいでてたへがたくをりうつむける君が睫(まつげ)のながかりしかも(久保田安治)
 
 s-捩花20180617
 ネジバナ。

 今日は1万歩ほど歩いたのだが、町内の環境整備の日になっているようで、多くのお宅が生垣の剪定作業をやっておられた。
 皆さま、天候不順というか梅雨です。ご自愛願います。


 

幽闃(ゆうげき)のあなた、遼遠(りょうえん)のかしこへ

「幽闃(ゆうげき)」は寂しく静かなこと。「あなた」は自分や相手から遠いところ。遼遠(りょうえん)ははるかに遠いこと。「かなた」も遠くはなれた方。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語。)

 前回までテキストにしていた『わが愛する歌人」(第一集~第四集・有斐閣新書)は終了。今回のテキストは『角川現代短歌集成 3 自然詠』。

 じゅっぽんのゆびを広げて指の間に五月の風を入れております (上野春子『虹の食べ方』)

 s-ピンクの花②20180531
 ヒルザキツキミソウ。

 時間ひらたく大皿の縁にもりあがり今しあふれん五月の朝 (糸川雅子『組曲』)

 s-ピンクの花20180531
 ヒルザキツキミソウ。

 わが息子のにきびのやうな力にて五月の山は動きゐるなり (藤岡成子『真如の月』)

 s-朝日が当たる20180531
 コニファー。
 
 鯉のぼりほうとふくらみくたと降るこの緩慢なる力見よとぞ(川野里子『五月の王』)
 s-新芽20180531
 コニファー。

 ふろばより走り出て来し二童子の二つちんぽこ端午の節句 (佐佐木幸綱『金色の獅子』)

 s-朝顔20180531
 コヒルガオかな?

 うす赤き茎匂ひたち菖蒲湯にをのこ子ひとり浄められゆく (小宮山久子『夕稜』)

 s-紫の花20180601
 キキョウソウ。

 鯉幟蛍光塗料あざけらく或る夜垂直の死後硬直(リゴル・モルチス) (山城一成『葉隠様式』)
 
 s-黄色の花②20180531
 カタバミ。 

 五月六日立夏のゆうべ緑なる草蜉蝣(かげろう)は机に来をり (宮柊二『獨石馬』)

 s-紫の花②20180531
 マツバウンラン。

 母の日にプレゼントされし傘翳(かざ)せば雨音は娘のささやきに似る (村田不二江『二人しづか』)

 s-黄色の花20180531
 タンポポ。

 傘雨忌の青葉のあめは眼鏡屋のめがねを濡らすことなく過ぎぬ (小島ゆかり『獅子座流星群』)
 *「傘雨忌」は作家・劇作家・俳人の久保田万太郎の忌日。5月6日。「万太郎忌」とも。

 s-防火用水池
 工場の防火用水池。朝と昼、鯉に餌を与えるのが楽しみ。まず池の縁のコンクリートを叩くと十数匹の鯉が私の方へ寄ってくる。餌を投げ入れるとピラニアが獲物に襲い掛かるような勢いで競い合って食べる。

 寂しさを身の重りとなし衣替へぬ水無月あらあらと山きほひ立つ (佐藤美知子『白珠』)

 s-なにこれ2010531

 六月のもの思(も)うも憂き雨の日は胸のあたりに古墳が眠る (渡辺松男『寒気氾濫』)

 s-はな20180531

 ピンはずしとびたたむとする青き蝶みなづき若葉の光の大地 (木造美智子『遠き舟唄』)

 s-ツツジ20180531
 サツキ(大盃)

 水無月という六月の空晴れてランプは納屋に麦は畑に (岡部桂一郎『一点鐘』) 

 s-ツツジ②20180531
 サツキ(大盃)

 みづがねのひかりの潮にみなぎらひ爆撃機(ステレス)見えざる空の水無月 (島田修三『東洋の秋』)
*「みづがね」は水銀のこと。
 
 s-シロツメクサ20180531
 シロツメグサ。

 (よし)と言ひ葦(あし)と呼ばれて湖岸の水無月直ぐ雨期に入りゆく (安永路子『褐色界』)

 s-キク20180531
 タイカンマツバギク。
 
 今回の写真は全て還太郎が勤務する工場で撮った(5/31、6/1)。植木もたくさんあるが、数万平米の敷地なので除草が行き届かないのが幸いし、あちこちに野草が折々の花を咲かせる。
 天気予報では来週梅雨入りかと。皆さま、ご自愛専一に。

暮れんとする春の色の、嬋媛(せんえん)として

暮れんとする春の色の、嬋媛として。「嬋媛」は美しく心ひかれるさま。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語。)

 今回の短歌は松倉米吉。テキストは有斐閣新書『わが愛する歌人 第四集』(1978年刊)。解説は田井安曇。
 松倉米吉 : 明治28年12月25日~大正8年11月25日。新潟県出身。明治40年高等小学校中退。鍍金工場に勤務。大正5年肺炎を病み休職。大正6年西洋洗濯業をへて、金属挽物職に奉公し、挽物職人となる。大正2年「アララギ」入社、古泉千樫に師事。その作品は病苦と闘う青春の苦しみと、愛を、確かな写生の目でとらえ表現している。

 吾の身の吾がものならぬはかな日の一年(ひととせ)とはなりぬ日暮待ちし日の

 松倉米吉は行路病者扱いで東京施療院で死んだ。数え年25歳。上掲の歌は美しい歌というような種類に凡そ属さないごつごつの歌だが、リズムは重くたゆたい、哀切である。「ヒトトセトハナリヌ」と9音で行き、更に「ヒグレマチシヒノ」と8音で結ぶ。「はかな日」の中身をもう一度言葉を替えてリフレインのように据えている。米吉は歌っているのである。決して叙述しているのではない。

 s-赤い実20180527 (1)
 ニワトコ果実。

 槌を打つ窓にをりをり椎の葉に陽の照りはゆる朝のうれしも

 米吉は新潟県頚城郡糸魚川町に生まれ。5歳で父を失い、11歳で親戚に預けられ、更には母が上京して再婚・・・と続く。松倉家は事実上ほろび、米吉はさながら孤児と化す。13歳で高等小学校を中退して上京し、母の婚家に寄寓し、メリヤス工場に就職。ただ母の死後、義父は本妻を呼び戻しているから、はたして正式の結婚であったのか、疑問である。

 s-緑の葉②20180527
 ネム。

 日除(ひよけ)にと粉袋かけて見たりけりあはれこの貧しさにあくまでふさはし

 大正4年4月号「アララギ」に、以下の2首とともに掲載された作品。この頃はまだ鍍金工場に勤務。それにしてもこの一連の貧乏への自信はどうだろう。「あはれこの貧しさにあくまでふさはしい」と「日除の粉袋」を言うことばかりではなく、謳われていてることは不安や歎きや困惑でありながら、しかもなお背骨をまっすぐ立てて昂然としてしているではないか。

 s-緑の葉20180527
 
 半月に得たる金のこのとぼしさや語るすべなき母と吾かな

 s-葉④20180527

 極まりて借りたれば金のたふとけれあまりに寂しき涙なるかも

 師の古泉千樫の米吉評。真率にして痛切なる、読むに堪へざらしむるまでである。実生活上如何なることにも失望せず、勇猛なる意志を以て自己を向上し改造することに努力して貰ひたい。内面的に突き進んだ歌もそこから自然に生まるると思ふ。

 s-葉③20180527
 ノゲシ。
  
 大川の宵の満ち汐闇ふかく波ふくよかにほの光りくも 

 大川は墨田川つまり荒川の下流をいう。この暴れ河も海へ出るところでは静かな川となり、その水面一杯に闇の向こうから潮が押してくる、それはよく見ればほのかに光となってふくらんで来る、というのである。このとき、米吉は22歳、5月に肺炎を病み数度の喀血を見ている。
 
 s-葉②20180527

 灯ともす街飯(いひ)煮ゆる匂ひうまければ涙ながれて母に帰るも

 大正6年の作品。もう米吉の晩年といっていいだろう。あと3年の猶予しかない。当時失業状態で病を養っていた。上掲の歌には「貧しさに家出を思ひて」と註がある。

 s-葉20180527

 今は言(こと)かよはぬか母よこの月の給料(かね)は得て来て吾は持てるを

 大正6年12月、母は死ぬ。死と給料を結び付けた歌はあったか知れぬが、それをかく哀切に誰が唄い得たろうか。

 s-白い花20180527
 ウツギ。
 
 下駄をはきつつ居れりとは知れど人目しげし顔さへ見ずに離るる切なさ

 米吉の最晩年、大正8年の作品。金属挽物業林氏方に転じ、人柄を見込まれてか養子分として働く。米吉は二人の娘のうち姉の登美子と恋仲になる。この暗闇の中の濃い朱の登場を彼のためにひそかに喜びたい感情にとらわれる。
 上掲の歌は、親方の家も貧しく、恋仲の娘はいま料亭への女中奉公に発とうとしている。それはわかっているのだが、人目を気にして見送ることもできず、仕事をしながらじっと気配を感じている職人の恋である。
 
 s-逆さの蜂20180527
 ウツギ。

 すずかけの広葉ひろはの雨に濡るる見て居る眼(まなこ)になみだながるる

 喀血はしばしばあり、一人胸にたたんで働くが前途は自ら知っていたのである。9月11日、アララギ会員山本氏の診察を受け「肺病」が確定。 
 s-赤い葉20180527
 
 かなしもよともに死なめと言ひてよる妹にかそかに白粉にほふ
 
 登美子が隠れて逢いに来た。「ともに死のうと言って寄り添う」登美子は料亭奉公であり、白粉がにおう。それが哀しいのである。

 s-青葉20180527
 コマツナギ。

 帰しなば又逢ふことのやすくあらじ紅き夜空を見つつ時ふる
 
 s-紫の花④20180527 
 シモツケ。

 待ちつかれ眠りたりしがうらさびし今まで来ねばなどか今日来む
 
 s-紫の花②20180527
 コマツナギ。
 ふたたびは暑さかへらぬ風らしもうすき布団に身をおしつつむ 

 s-紫の花20180527
 ノアザミ。

 この日ごろ窓ひらかねば光欲しほそくながるる夕日のよわさ

 s-陰翳③2018527
 アカメガシワ。
 ひそひそと外の面(とのも)には雨降るけはひ妻は乳ふさよもぬらすまじ

 孤独のうえに病が重なり、窓を開けてくれる手さえない。勤めの間を逃げるようにして当方へ歩んでくる登美子を幻想し、妻よ乳房を雨で濡らすなと呼ぶ。エロティシズムはここで慈悲とでも呼ぶよりないものに昇華し、絶望のうちに横たわっている米吉をほのぼのと浮かびあがらせる。 
 s-陰翳②20180527

 浪吉は吾の体を警察にすがらんと行きぬなぜに自ら命を絶ちえぬ

  「浪吉」は高田浪吉(明治31年~昭和37年)のこと。アララギ派同人であり、米吉らと共に「行路の研究」を発刊した。冒頭に米吉は「行路病者として東京施療院」で死亡と記載したが、「行路病者」とは「飢えや病気で旅の途中で倒れ、引き取り手のいない者。行倒れ」である。浪吉は米吉の生活の一切の面倒をみた。

 s-陰翳20180527

 昭和初年、中野重治は『芸術に関する走り書的覚え書』で、「斎藤茂吉と松倉米吉とは短歌史の最後のペーヂであろう」と言う。

 本日の写真は「三ッ石森林公園」と「雪入ふれあいの里公園」で。アパートから約10kmかな。昨日も今日もいい天気で有難かった。ところで、昨日、北方謙三の『チンギス紀』の「一」と「二」を購入。「一」は読了。「二」はこれから。やっぱり北方謙三は途中でやめられない。 皆さまのご健勝を願ってます。

  

蕭寥(しょうりょう)

 「蕭寥(しょうりょう)」はひっそりとしてものさびしいさま。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語。)

 昨日(5/19)は都内で高校の同級生10名+2名と飲み会、今日はいわき日帰りドライブ。なので、またまた短歌はお休み。
 下の写真は妻実家の大きすぎる家庭菜園?。義姉と妻と義母が主担当。義兄と還太郎は力仕事要員。手前は総延長約400mのサツマイモ用丸畝。
 s-庭の畑20180520

 いま何種類の野菜・果樹があるのか、数えてみた。 1.ソラマメ 2.カリフラワー
 s-ブロッコリー20180520
 これは上出来のブロッコリー。

 3.ブロッコリー 4.夏ネギ 5.冬ネギ
 s-ブロッコリーの茎20180520
 このブロッコリーは茎もしっかり育って太い。

 6.ニンジン 7.トウモロコシ
 s-バラ20180520

 8.枝豆 9.赤タマネギ
 s-バラ②20180520

 10.白タマネギ 11.カブ
 s-白い花20180520
 アメリカテマリシモツケ「ディアボロ」。

 12.ジャガイモ 13.サツマイモ(3種類)
 s-ピンクの花20180520
 タイカンマツバギク。

 14.ニンニク 15.ナス
 s-ヤマブキ20180520
 ヤエザキヤマブキ。

 16.ピーマン 17.タカノツメ
  s-ピンクの花②20180520
 クレマチス。

 18.ミョーガ 19.フキ (この2つは勝手に生えている) 
 s-黄色の花20180520
 オッタチカタバミ。

 20.カボチャ(2種類) 21.レタス(2種類)
 s-紫の花20180520
 ムラサキツユクサ。

 22.ニラ 23.ラッキョ 
 s-新葉⑤20180520

 24.ラッカセイ 25.ミニトマト
 s-新葉④20180520

 26.サトイモ 27.アスパラガス
 s-新葉③20180520

 28.ダイコン 29.赤シソ 30.青シソ
 s-新葉②20180520

 31.イチジク 32.カキ 33.ザクロ 34.梅 35.ユズ
 s-新葉20180520

 いまは収穫期ではなく苗であるもの、果樹の類も数えてみたが、改めてその数の多さに驚く。専業の農家であれば効率を重視しなければいけないのでこんな数にはならないだろうが、大きすぎる『家庭菜園』ならではかな。

 皆さま、気温が乱高下しています。ご用心ください。

窈然として同所に把住する(ようぜんとしてはじゅうする)

 「窈然として同所に把住する」。「窈然」は奥深くて、はるかなさま。「把住」は捉えとどめおくこと。また、禅宗で、師が弟子を指導するとき、向上させるために、弟子の持つ誤った考えを打破・否定して、困惑・絶望に追い込むこと。(今年のタイトルは漱石・『草枕』の難解熟語。)

 今回は短歌はお休み。下の写真は行方市(なめがたし・茨城県)のさつまいも畑。この畑だけで20千㎡あるそうな。
 
 s-2町歩のさつまいも畑20180430

 こちらは妻実家の大きすぎる家庭菜園。中央奥はさつまいも畑。白く光っているが、行方同様に黒マルチが敷かれている。今回の連休の成果。手作業なので、疲れた、疲れた・・・。昨日は畑作業で1万5千歩も歩いたので、21時頃寝てしまい、3時15分起床。健康的なのか、不健康なのか?

 s-ちょっと大きい家庭菜園20180506

 以下はこの連休のいわきの農家の庭先の光景。
 s-あやめかな20180506
 ジャーマンアイリス。

 s-あやめかな②20180506
 ジャーマンアイリス。

 s-コデマリ②20180505
 コデマリ。

 s-ウメ20180506
 ウメ。

 s-白い花20180506
 フランスギク。

 s-新葉20180506
 コウヤマキ。

 s-紫の小さな花20180506
 マツバウンラン。

 s-紫の花③20180506
 シロバナシラン。

 s-紫の花②20160506
 サルビア・ネモローサかな?

 s-紫の花20180506
 シラン。

 s-花顎20180506
 ヤマブキ。

 s-黄色の花20180506
 ガザニアかな?

 s-バラ20180506
 バラ。

s-青い花20180506
 ジャーマンアイリス。

 さて、明日から会社。9連休もすると、会社勤めも新鮮に感じるのでは。皆さま、お健やかにお過ごし願います。

惝怳(しょうきょう)

 惝怳(しょうきょう)は驚きのあまり、ぼんやりすること。心を奪われること。がっかりすること。失望すること。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語から)

 今回の短歌は植松寿樹(うえまつひさき)。テキストは『わが愛する歌人 第四集』(有斐閣新書・1978年刊)。解説は富小路禎子。(富小路は植松に師事した。)
 植松寿樹は明治23年2月16日~昭和39年3月26日。東京出身。慶応大学卒業後、銀行、商事会社勤務をへて、大正12年東京芝中学校の国語教師となる。中学生のとき、電報新聞の短歌欄投稿を機縁に空穂に師事。明治38年「十月会」の結成に、大正3年「国民文学」の創刊に参加。昭和21年「国民文学」を離れ、「沃野」創刊。

 しんしんと立ち澄む独楽に六月の青葉の風は光りたりけり 
 玲瓏と澄(すみ)のよろしも竹の独楽ほがらに音を鳴りいでにけり

 いずれも植松の25歳の作品。大正10年発表。確かな把握、対象にふさわしい清新な気分の展開が見事である。この2首は、植松の第一歌集『庭燎』に収められているが、大正10年は茂吉『あらたま』、牧水『くろ土』、空穂『青飛沫』、白秋『雀の卵』等が続々と出版された年であった。
 
 s-ツツジ20180430
 (4/30、お隣のHさん宅のお庭にて) ツツジ。

 どつこいせどつこいせとて手打ちはやししめやかなれや福知山踊 

 26歳のときの作品。時代を超えて深く「あはれ」がしみ入ってくるように思われる。それは26歳の青年の感傷ではなく、人間の生のかなしみが直(ぢか)にひびいてくる感触である。読者の眼にも見える山深い里の暗い灯かげにほのかに動く人影は、何かこの世の外の生の幻のように感じられ、しかも美しく気品がある。
 
 s-ツツジ②20180430
 (4/30、Hさん宅のお庭にて) ツツジ。

 柩をばのせて曳くなりあなあはれ馬は動かすその雙の耳

 この挽歌は齢若い学友の死に際して。この歌には時代が出ているとともにかぎりない情趣をたたえている。

 s-ピンクの花20180430
 (同じくHさん宅のお庭にて) シャクヤク。
 
 掃きよせて落葉焚く間も銀杏の樹やまずしこぼす黄なるその葉を

 この頃植松は慶応の学生であったが、屡々授業をさぼっては九品仏(くほんぶつ・世田谷区奥沢の浄真寺)に遊んだ。いかにも解放感を楽しんでいる歌詞で、早くも自在な作歌力を身につけていたのである。植松が昭和39年に歿すると、この九品仏の墓地に葬られた。46年の7回忌を期して本堂脇に歌碑が建てられ、この歌が彫(きざ)まれた。

 s-紫の花20180430
 (同じくHさん宅のお庭にて) シラン。

 めずらしみ摘みつつ来しを竜胆(りんどう)のはな頂(いただき)に来れば其処にもここにも

 雅で格調高い作品の間に、何気なくさらっと言う軽みを植松は早くから好んでいたようである。さらっと言いながら、底には用意があり、崩さぬ一線があった。

 s-白い花20180430
 (同じくHさん宅のお庭にて) シロバナシラン。

 別れゆきて人すぐに見えずややしばし篠竹分くる音は残れり 
 登り終へし合図待ちては落石を避くる岩陰ゆ一人一人出ず

 植松はよく山へ行った。歌友とゆくこともあったが、生徒をひきつれてゆくことも多かった。

 s-道端の花20180430
 (4/30、路傍の畑の隅に) オオルツボ(シラー・ペルビアナ)

 巻紙のうすでに書ける妹がふみ稚なげにしてこころ籠れり

 結婚前の妻を詠んだ初々しい作品。昭和2年刊の『光化門』から。植松は何事にも動揺や、露わな感情をみせることがなく、常に高雅な雰囲気をもっていた。時折その家を訪う私達の目には、家族もそれぞれの分を守って常に清々しい起居を感じたものである。

 s-白と黄の花20180430
 (同上) フランスギク。
 
 熱き燗をたのしむままに鍋煮えて部屋暖かし妻も子も居よ

 植松を語ればぜひ酒にもふれたくなる。若い頃や特別な宴席などは知るよしもないが、私の知るのは実に程よいおだやかな酒で、心から楽しんで盃を手にし、同席の者もまた楽しかった。

 s-石楠花②20180430
 (4/30、ご近所のOさん宅のお庭で。) シャクナゲ。

 年経れば聳えてついに孤りなり千尋峠の一本杉あはれ

 昭和31年、66歳の作品。この一首はよく短冊などにも書いた。周囲に人生の種々相をみて来て、ようやく盛りを過ぎようとする時、多くの親しい人々の中に生活しながらも、精神は常に孤高であった植松の、矜持と寂寥が深くこめられているようである。
 
s-石楠花20180430
 (同じくOさん宅のお庭で、以下3葉も。) シャクナゲ。

 糸桜咲きかかりたる蕾充ち青岸渡寺はいま粉雪の中 

 青岸渡寺(せいがんとじ)は和歌山県那智勝浦町にある天台宗の寺院。植松の歿後「沃野」の大会が伊勢にあり、帰途多くの者が青岸渡寺を訪れて境内に糸桜を探したが終に見つからない。後で聞くと糸桜は上の神社の玉垣の中にあったという。糸桜のふくよかな蕾と粉雪のこよなく美しいとり合わせの中に青岸渡寺の語感が効果的にすわった一首で、見事な創作技巧と知ったのである。

 s-枯れかけの紫の花20180430
 ジャーマンアイリス。

 日の下に照りかがやける牡丹見て眼を移す方の暫く暗き

 植物の好きだった植松の歌には木草の種類も多く、愛情の籠ったものばかりである。自宅の庭には様々な木草がところ狭しと植えられていた。
 
 s-群落20180430
 ミヤコワスレかな?

 家挙げて伊豆の湯を浴び宿題に孫を励まし年の夜送る

 没年となる昭和39年の正月は、一家をあげて温泉にゆき大いに楽しんだ。2月に心臓のむくみが見つかり入院したが、3月半ばには退院。その月の編集日には一同赤飯のふるまいを受けて全快を祝った。翌日、植松は勤務する芝学園先生仲間数人と、伊津土肥温泉に旅立つことは弟子たちの誰も知らなかった。そして、3月26日深夜、その旅先の宿で心臓麻痺の為急逝した。大好きな旅のさ中、家族も弟子も、誰一人知らぬまに清々と死んでいった。
 
 s-黄色の花20180430
 ジャーマンアイリス。

 還太郎は28日から9連休中。今日(5/4)明日はいわきへ帰省する。皆さま、お元気にお過ごし願います。



無絃の琴を霊台に聴く(むげんのきんをれいだいにきく)

 「無絃の琴を霊台に聴く」。絃の無い琴の音色を霊台(周の文王が建てた物見台、転じて天文台)。詩人の陶淵明は琴に弦を張らず、ただ眺めていたという。また菜根譚には「無絃の琴を聴き、無字の書を読む」という。要するに無窮の世界を言っている由。興味のある方は「弦の無い琴をひく」を検索願う。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語)

 さて、今回の短歌は川田順。テキストは『わが愛する歌人 第四集』(有斐閣新書・1978年刊)。解説は橋本喜典。
 川田順(明治15年1月15日~昭和41年1月22日)は東京都出身。城北中学、一高をへて、東大法学部卒業。住友本社に入社し常務理事となったが、昭和11(54歳)年実業界を引退。明治30年「竹柏会」に入門、佐佐木信綱に師事。大正13年、「日光」の創刊に参加。昭和17年歌集『鷲』によって第一回帝国芸術院賞受賞。昭和23年宮中歌会始の選者、昭和37年芸術院会員となる。

 わがこころ環(たまき)の如くめぐりては君をおもひし初めに帰る

 この歌は歌集『東帰』(昭和27年刊)の一首。この歌の「君」は京都大学教授中川与之助夫人俊子であり、俊子は当時39歳、順は67歳。二人の関係が発覚し、三者はそれぞれ懊悩の五百日を経て、漸く解決の話がでていた矢先、順は自責の念からか、遺書を知己に郵送して、亡き妻和子の墓前にて自殺を図った。結局、順と俊子は昭和24年3月に結婚し、国府津に住む。(最初の妻和子は昭和14年12月脳溢血で急逝。)

 s-ツツジ20180419
 ツツジ。

 夕顔や戸による母のおももちを幼な心にあやしみしわれ

 これは処女歌集『伎芸天』(大正7年)の「根岸の思出』一連中のもの。順の父は宮中顧問官文学博士川田剛。生母はその父の側室で蔵前の商家の女、本田かね。そうことで順は父の家には住むことができず、生母と共に根岸の別邸に住み、明治26年生母の病没後は妹美佳子とともに牛込の本邸に引き取られた。
 明治32年9月、第一高等学校文科に入学。島崎藤村、薄田泣菫らの感化でしきりに新体詩を作り、また近松、シェークスピアに興味を覚えて、それらの研究は爾後十余年に及んだ。
 明治25年東大文科(英文科)に入り、翌年9月法科に転籍。当時、歌の師佐佐木信綱は「君の転科については自分はまことに遺憾に堪へないでかたくとどめたのであった。然し君は之を断行した。文科は去るが文学は捨てぬと、君は自分に答へた。」と記している。卒業後は住友本店(大阪)に勤務。

 s-ツツジ⑤20190422
 ツツジ。

 寧楽(なら)へいざ技芸天女のおん目見(まみ)にながめあこがれ生き死なんかも

 大阪へ移ってからは、しきりに近畿の名勝古蹟を巡っては歌を作った。歌は、「奈良へさあ出かけて、技芸天女のその目のいろをながめ、その美しさに憧れながら、生きそして死にたいものだ」の意。

 s-ツツジ⑨20180422

 布さらし秋のあしたの眼もさやに一すぢの水山より来(きた)る 

 これは「河内柏原」にて。発想は情緒的だが、順の眼が庶民の生活に向けられていることがわかる。凛然とした秋気を感じさせる冴えた歌だ。

 s-ツバキかな20180422
 ツバキ。

 匠等(たくみら)は春のゆうべの床の上(へ)にあぐらゐ黙りはたらけるかも

 唐招提寺の講堂の中で、仏師たちが黙々と古い仏像の修繕をしている様子を歌っている。

 s-アイリスかな20180422
 アヤメ。

 鳴門の渦のまはりを渦なりに大きく廻って下りゆく船あり

 大正8年9月、窪田空穂は大阪に一週間ほど滞在した。昼間は名勝古蹟を巡り、夜は順との歓談を楽しんだ。空穂は「私たちは同窓の学生が、何もかも知り合ひぬいてゐる者が、後年再びめぐり合つた時にのみ感じるやうな親しさと安らかさを、氏の家庭から得ることができました」と記している。この空穂との対面が一つの契機となって、順は浪漫主義から写実主義への転換を遂げていく。上掲の歌は『青淵』(昭和5年刊)から。

 s-ツツジ④20180419
 ツツジ。

 わたの原秋近けれや天雲の寄り合ひのはてのいやはろかなる

  s-菜の花20180422
 ナノハナ。

 薬師岳は朝日のさせる山腹(やまばら)に雪の斑点(まだら)の大きく粗き

  これは歌集『鷲』(昭和15年刊)の「立山」の連作から。『鷲』は第一回帝国芸術院賞を受けた。
  実業家としての順は、住友本社経理課長、住友製鋼所支配人、総本社総務部長を歴任後、『青淵』を上梓した昭和5年8月には常務理事に抜擢され、次期総理事の席が約束されているかのように見えていた昭和11年5月、突然辞職。以後、文筆家としての活躍はめざましく、歌集以外の著作も次々と刊行した。 

 s-ツツジ③20180419
 ツツジ。

 見上ぐらく山原のそらを飛ぶ鷲の大き翼の白班(しらふ)かがよふ
 
 s-シャクヤクかな20180422
 ボタン。

山空をひとすぢに行く大鷲の翼の張りの澄みも澄みたる  

 s-ツツジ②20190419
 ツツジ。
 
 立山の外山が空の蒼深み一つの鷲の飛びて久しき

 s-シャクヤクか牡丹か②20180422
 ボタン。
 
 大鷲の下(お)りかくろひしむかつ山竜王岳は弥(いや)高く見ゆ 

 s-シャクヤクか牡丹か20180422
 ボタン。

 川田順は「文科は去るが文学は捨てぬ」と言った通りの人生を生きた。凄い人がいたのだと、今回も勉強になった。

 昨日・今日は夏日。昨年から今年にかけて「前期高齢者」と呼ばれるようになった同級生諸君、熱中症にも油断召されるな!!

銅臭児(どうしゅうじ)

「銅臭」どうしゅう)は銅銭のもつ悪臭。「児」は人を見下げた言い方。金銭をむさぼり、また、金銭によって官位を得るなど、金力にまかせた処世を送る者を卑しむ意。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語)

 今回の短歌は古泉千樫(こいずみちかし)。テキストは『わが愛する歌人 第四集』(有斐閣新書・1978年11月刊)。解説は吉田漱。 吉田は、古泉千樫を「高雅な明るさと悲哀 望郷のうたびと」と評している。

 古泉千樫〔明治19年(1886年)9月26日~昭和2年(1927年)8月11日〕。千葉県出身。明治43年千葉町教員講習所をでて小学校教員となる。明治37年18歳のとき「馬酔木」に短歌を投稿し、2首えらばれたのを機縁に伊藤左千夫に師事。明治41年蕨真によって下総より「アララギ」創刊。翌42年「アララギ」発行所が東京に移り左千夫によって刊行されたので本所緑町に移り、その編集を手伝い、茂吉、赤彦、憲吉、文明らとともに主要同人となる。

 君が目を見まくすべなみ五月野の光のなかに立ちなげくかも

 5月の野は光がみちわたり、山も木もみどりが生き生きとあかるい。そのなかにいて恋しい人に逢いたいと思いながら逢うことができず、明るいだけにいっそう歎きも深い。千樫の作品を読み進んでゆくと、こうした明るさの中にいての歎き、さびしさという感じに触れないわけはいかない。 

 s-新緑の山20180408

 ま昼まの路上に吾れの影くろしひとりまぶしく歩みつるかも

 この歌にも、何かに口ごもりうつむいている千樫の姿が見え隠れする。

 s-菜の花20180408
 ナノハナ。

 あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき

 これは斎藤茂吉の歌。千樫が編集人であった時期、「アララギ」の度重なる遅刊に茂吉が憤激し電話で怒鳴ったという話や、千樫自身、歌集『川のほとり』巻末記に「言語道断懶惰なわたしは」と書いていることもあり、事務作業は不得意だったのか。

 s-梨かな20180408

 みんなみの嶺岡山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも

 嶺岡山は生家の庭に立つと南側になだらかな牛の背のような形でそびえている。その山のゆるやかな傾斜が牧場になっていた。「焼くる火」はその草に放った火であり、夜になっても赤々ともえひろがるのが庭から見える。この歌は単に写生の歌ではない。

 s-白い花20180408
 クサイチゴ。

 山火事の火影おぼろに宵ふけて家居かなしも妹(いも)に恋ひつつ

 千樫の恋い思う人は人妻であり、子持ちで十歳も年上であった。その屈折しくぐもったなげきは嶺岡山の火の色に触発され、いっそう下燃えにひろがるかのようである。それでこそ前掲の歌は単なる風景写生の作品以上に深い哀調がにじみ出てくるようだ。

 s-赤い葉20180408
 アカメガシワ。

 吹く風に椎の若葉の日のひかりうち乱りつつありてがなくに

 千樫はその後、自分では「世にそむき」とうたいながら、その恋愛は成就し結婚した。後年亡くなる前の年、病をおしてこのふるさとの山に登る。

 二つ山三角標のもとに咲くすみれの花をまたたれか見む
 s-新葉⑤20180408
 ヌルデ。

 夜は深し燭を継ぐとて起きし子のほのかに冷えし肌のかなしさ 

 これは、いまではその相聞の相手が原阿佐緒(はらあさお)であることがわかっている。阿佐緒は明治42年に「女子文壇」に投稿し、与謝野晶子に認められ天賞をうけた。新詩社にも入り、43年には「スバル」にも参加。阿佐緒は大正2年、第一歌集『涙痕』を刊行している。
 宮城県の旧家に生まれるも若くして父を失い、結婚するはずであった養嗣子の若死に、日本女子美術学校在学中に妻子ある男性にだまされて自殺を図るなど、精神肉体ともに傷だらけになる。『涙痕』はそれから生まれた一冊であった。世評も高く、才にはじけ、若くて美貌、悲劇的な生活、また寄るべない孤独の歌の数々といった印象が多くの人与えられた。千樫も批評でこれをとりあげている。

 s-新葉④20180408
 アオキ。

 ぬばたまの夜の海走る船の上に白きひつぎをいだきわが居り
 
 そんな頃、千樫は生まれ4ヶ月の次女を失う。子をなくした千樫も苦しかったが、阿佐緒の方もなやみ、千樫との間に終止符をうつべく嫁いでいった。

 s-新葉③20180408
 カエデ。 

 夜寒く帰り来ればわが妻ら明日焚かむ米の石ひろひけり
  
 s-新葉②20180408
 ツタウルシ。

 帰りきて雨夜の部屋に沈丁花匂へば悲しほてる身体に

 前掲のような庶民生活の哀感を歌ったりもするが、阿佐緒との恋愛感情は作品の間にみえかくれしている。

 s-新葉20180408
 アオキ。

 切にして人の思ほゆ闇ながら若葉の森のゆらぐを見れば

 s-紫の花②20180408
 タチツボスミレ。

 秋さびしもののともしさひと本(もと)の野稗の垂穂(たりほ)瓶(かめ)にさしたり

 s-紫の花20180408
 ムラサキケマン。

 うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも  
 
 s-桜20180408
 ヤエザクラ。

 雹まじり苗代小田にふる雨のゆゆしくいたく郷土(くに)をし思ほゆ

 s-新緑の山②2018408

 昨日(4/7)、いつもの本屋さんで『本所おけら長屋』(畠山健二・PHP文芸文庫)の1と2を買った。落語か講談の名人の話芸のようなノリの良さ。16時頃に再度本屋さんに行き、3~10を買う。既に5まで読了。たぶん就寝前に6も読み終えると思う。こんなスピードで読むのは北方謙三の『水滸伝』・『楊令伝』以来かも。掃除・洗濯、山歩き、通院、洗車、クリーニング屋さん、飲・食料買い出し、ブログ作成等々、充実の週末・・・。体重もUNDER80が射程距離に入ってきた。
 皆さま、お元気にお過ごし願います。

徹骨徹髄(てっこつてつずい)

 「徹骨徹髄」は、骨身にしみること、ものごとの中核、真髄まで達すること。「骨髄に徹する」言葉から生まれた造語。(今年のタイトルは漱石・「草枕」の難解熟語)
 
 今回の短歌は伊藤左千夫。テキストは『わが愛する歌人・第4集』有斐閣新書・昭和53年刊。解説は扇畑忠雄。
 伊藤左千夫〔元治1年(1864年)8月18日~大正2年(1913年)7月30日〕、千葉県出身。実家は農業。明治14年、18歳のとき上京。政治家を志し、明治法律学校に学んだが、眼疾のため退学帰郷。22歳のとき再び上京し、京浜間の牛乳店、牧場で働く。明治22年本所茅場町に牛乳搾取業を営んで生涯にわたった。
 啄木の左千夫評によると「風采はマルデ田舎の村長様みたいで、随分ソソッカシい男だ」とのことだが、島木赤彦、古泉千樫、斎藤茂吉、中村憲吉、土屋文明らの優れた門人を輩出した。

 秋草のいづれはあれど露霜に痩せし野菊の花をあはれむ

 野菊は、左千夫の小説「野菊の花」の少女民子のイメージともいうべく、幼くて可憐な恋愛を象徴する花であった。『ほろびの光』に歌われた鶏頭もツワブキも作者の好きな花だったにちがいない。この花々は寂滅に向かう宗教的な諦念の世界をいろどる形象として、深い意味を持つ存在であった。

 s-20180328桜
 サクラ。

 おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く
 
 s-馬酔木20180329
 アセビ。

 鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
 
 s-防火水槽の脇で20180329
 ハナニラ。

  秋草のしどろが端(はし)にものものしく生きを栄ゆるつわぶきの花

 s-黄色の花20180329
 タンポポ。

 鶏頭の紅(べに)古りて来し秋の末や我れ四十九の年行かんとす
  
 s-馬酔木②20180331
 アセビ。

 今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光

 この大正元年作「ほろびの光」一連の五首が、翌年逝去した左千夫の最晩年に達成した傑作であることは誰も否定できないであろう。晩秋の朝露の下りた庭前の景物、柿落葉や鶏頭の花やツワブキの花を素材としながら、単なる自然描写に終わらず、「或期間から深く宗教にも参じた左千夫が、遂に一草一木にもその生の寂滅を観得するに至った」と、茂吉も評している。 

 s-枝垂れ桜20180331

 みづみづしき茎のくれなゐ葉のみどりゆづり葉汝(なれ)は恋のあらはれ 

 「みづみづしき茎のくれない」や「葉のみどり」の感覚からユズリ葉を「恋」の象徴とまで見ているところに、左千夫がそれらの植物を単なる客体として描写するだけではなく、対象を作者の側に引きよせた主体的な作家態度をうかがうことができよう。

 s-桜2018331

 さみだれの小暗き庭にくれなゐの光をともす夾竹桃の花

 左千夫は合歓、夾竹桃、秋海棠、野菊などを好んでいる。ほのかに紅い花や清楚で可憐な花が一種の恋愛的情調に通ずるからであろう。

 s-ヤマザクラ20180401

 人の住む国辺(くにべ)を出でて白波が大地両分(ふたわ)けしはてに来にけり

 s-コブシ20180401
 コブシ。

  春の海の西日にきらふ遥かにし虎見が崎は雲となびけり

 これらは九十九里浜を詠んだもの。天地創造の原始を思わせるような雄渾で緊迫した歌風は、他に類を見ないのではあるまいか。

 s-いろはもみじ20180401
 カエデ。
 以下は『冬のくもり』から。

 我がおもひ深くいたらば土の底よみなる友に蓋(けだ)し通はむ

 s-青い花20180401
 タチツボスミレ。

 よみにありて魂(たま)静まれる人らすらもこの淋しさに世をこふらむか

 s-新葉②20180401
 コナラ。

 裏戸出でて見る物もなし寒む寒むと曇る日傾く枯葦の上に

 s-新葉20180401
 コナラ。

 ものこほしくありつつもとなあやしくも人厭(いと)ふこころ今日もこもれり

 s-桜の山20180401

 よみにありて人思はずろうつそみの万(よろず)を忘れひと思はずろ

 茂吉は、「全体を貫く漢字は悲哀であり憂鬱であり、暫し周囲と断って籠りたい感じである。天地に満ちわたる悲哀といふやうなものを既に表現し了せているのである」と評している。

 s-ヤマザクラ②20180401

 今週読んだ本。売れっ子の二人の作。「おもかげ」の主人公は65歳で退職する送別会の晩に、帰宅の電車の中で倒れて意識不明に。同い年の還太郎には身につまされる作品。「アノ二ム」は美術ものながら、国際陰謀痛快撃退小説。

 s-本20180401
 
 25日は上野公園へ、31日は笠間へ行き、満開の桜を楽しんだ。皆さま、ご健勝にお過ごしください。
 

悪魔のような声と身ぶりで

☆今回は広告です☆ 

 今年、友人が翻訳した本が2冊、出版された。1冊目は『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』 ポール・マー・ジュニア編(うから 2018・1・20)。もう1冊は『マリーンワン』 ジェームス・W・ヒューストン(小学館文庫 2018・3・11)。

 『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』は3月11日の朝日新聞の書評欄で取り上げられた。評者は音楽家の細野晴臣氏(1978年、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラを結成、1983年解散)。
 
               s-トムウェイツ  
 
 以下は、朝日新聞書評。PDF化された書評をいじくったらWordに変換できてしまった。

 悪魔のような声と身ぶりで繊細な歌を紡ぐトム・ウェイツは、とても演劇的なパフォーマーだ。それに惑わされるせいか、取っつきにくいという印象も拭えない。しかし本書を読み進めば、彼の音楽に向き合う真摯な姿勢や、他者に対する誠実さが明らかになる。
 1973年の衝撃的なデビューから2009年までの数多くのメディアによるインタビュー記事からその姿が浮かぶ。その真面目さは僕も初めて知った。彼は一見破滅的に見える音楽家だが、とくに結婚後は崇拝する作家ケルアックのような、荒んだ暮らしを実生活や芸術に組み込むことを良しとしなかったようだ。
 ウェイツはまた、いろいろな表現で語られることが多い。たとえば「ディランよりディランらしい」。こ のニューズウィーク誌の位置づけは、ボブ・ディランがスーパースターでなけれウェイツのように活動していたであろうと思わせる。「土曜の夜の詩人」とは、読書好きの彼がケルアックの列に並ぶ詩人という、もはやポップスの枠には収まり切らない作家性への称賛だろう。今の米国でこんな存在は他にいない、という評価でもある。
 一方、アルバムを多作し、ツアーを休まず続けてきたウェイツにも疲労や自作への「飽き」があったという。そもそもコメディアンの素養があったらしく、舞台での話術が歌を凌駕していったことも興味深い。映画にも出演し、自身でトム・ウェイツを演じてきた様が本書からうかがえる。
 とはいえ、まずはウェイツの音楽を聴いてほしい。印象とは裏腹に緻密なプロデュースがなされていて、音楽を魅力的に仕上げているのだ。そして彼の音楽愛好家という側面、それこそが秀逸な作品を創造する必須要素なのだろう。
 ウェイツは、多様な音楽を聴けば聴くほど音楽に敏感になる、と語る。作詞や作曲は技術だ。職人としてそれを麿くことが肝要ということだろう。共感する。


                s-マリーンワン

 作者のジェームス・W・ヒューストンは大学卒業後海軍に入り、精鋭中の精鋭のトップガンにまで昇進して除隊。その後、バージニア大学のロースクールに進み、弁護士の資格を取得。一時海軍に戻るが、カリフォルニア州のサンディエゴで弁護士活動を開始する。主に製造物責任法の訴訟に関わり、この分野で米国の最優秀弁護士10人のひとりに選ばれている。
 90年代後半から弁護士業の傍ら小説を書き始め、毎年1冊のペースで長編を発表していたが、2016年骨髄腫で死亡。(訳者あとがきから抜粋)


 海軍と弁護士活動の経験を活かした、リアリティに富みかつスピーディな話の展開に、読者は翻弄されること必至。寝不足になること請け合い。こちらも670頁の長編。還太郎は一時トム・クランシーの「ジャック・ライアン」シリーズやパトリシア・コーンウェルの「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズを耽読したが、ジェームス・W・ヒューストンの作品が続いて出版されることを切望する次第。

 今回はこれまで。天候不順の折、皆さま、ご自愛願います。

乾屎橛(かんしけつ)

乾屎橛(かんしけつ)。禅語。伝統的にくそかきべらと解されてきたが、本来は乾いた棒状の大便。常識的な観念を打破するため、仏や禅僧の比喩として用いる。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語。)
 
 3/17(土)朝の愛車。夕べの雨で空中を舞っていた花粉が叩き落されたようで、花粉まみれ。還太郎は幸いにして花粉症には罹っていないが、これほどになると気持ち悪い。
 s-花粉症にかかりそう20180317

 今回の土日はいわきへ出掛け、妻の春野菜作りの作男兼お彼岸の墓参り。以下は、妻実家の庭の光景。農作業・墓参りで忙しかったので、今回は短歌はお休み。
 s-黄色の花20180317

 s-木蓮20180317

 s-水仙②20180317

 s-新芽20180318

 s-春陽20180318

 s-ツバキ20180318

 s-ツバキ②20180318

 s-ウメ20180318

 s-ウメ②20180318

 管理機(小型の耕運機)で畑を耕しても足跡を残さない方法、苗床とその上に張るクロマルチ(雑草の繁茂の防止、地熱の保持を目的にした黒色のフィルム)の「鏡面仕上げ」の訓練。中腰でやる作業も多いので腰がちょっと痛い。
 でも農作業は嫌いではない。農作業に関しては一日の長がある妻に追いつき追い越すべく、奮闘中 !! とにかく、目に見えるように細くなっているウェスト・サイズがうれしく、会社で日課にしている緑地帯の植木の剪定と農作業が楽しくなっているこの頃。

 温かくなったり寒くなったり、天候不順です。皆さま、ご自愛願います。 
 

澌尽礱磨(しじんろうま)

澌尽礱磨(しじんろうま)。「澌尽」は尽きてなくなること、すべてなくなること。「礱磨」は摺るとか砥ぐの意。漱石は『草枕』の中で「両者の間隔がはなはだしく懸絶するときには、この矛盾はようやく澌尽礱磨して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかもしれぬ」と書いている。(今年のタイトルは『草枕』の難解熟語)
 
 s-蕾20180310

 今回の短歌は正岡子規。テキストは「わが愛する歌人 第四集」(有斐閣新書・昭和53年刊)。解説は宮地伸一。
 正岡子規、慶応3年9月17日~明治35年9月19日)。愛媛県出身。明治16年松山中学中退後政治家を志して上京。大学予備門に学び、東京帝大文科に入学したが中退し、明治25年新聞「日本」に入社。明治28年日清戦争に従軍記者として渡満。帰国の船上で喀血、以後病床に伏す。明治31年「歌よみに与ふる書」を新聞「日本」に掲載。病床に「根岸短歌会」をおこして、のちの写実主義短歌の源流をなした。 
 s-蕾②2018310
 
 もののふの屍(しかばね)をさむる人もなし菫(すみれ)花咲く春の山陰 
 赤き牡丹白き牡丹を手折(たおり)けり赤きを君にいで贈らばや
 明治31年、子規は歌論「歌よみに与ふる書」を発表し、続いて実作「百中十首」を世に示した。これを以っていわゆる短歌革新に立ち向かったのである。明治29年、30年は殆ど歌を詠んでいないが、その休止が契機となったのか、31年の大活動が始まり、「歌よみに与ふる書」は2月12日から10回、「百中十首」は2月27日から11回発表した。
 s-蕾③20180310

 大原の野を焼く男野を焼くと雉(きぎす)な焼きそ野を焼く男
 古庭の萩も芒も芽をふきぬ病癒ゆべき時は来にけり
 これらも「百中十首」から。百首の中から十首を、毎回選者を変えて選ばせたもの。子規にとって明治31年は生命の大いに躍動した年であり、輝かしい仕事をした年なのである。それまで休火山であったのを、突如として大爆発して天に高く噴煙を冲したという趣である。
 s-冬残20180310

 霜防ぐ菜畑の葉竹はや立てぬ筑波根颪(おろし)鴈を吹く頃
 人住まぬいくさのあとの崩れ家杏の花は咲きて散りけり
 以上の6首は、「百中十首」の1回目の10首から。
 s-冬の残り②2180310

 くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる (明治33年)
 こういう歌が教科書のなかにあった。これは中学生の心に自然と沁み込んでいく写生の歌で、「針やはらかに春雨のふる」という細かい表現に心惹かれたが、それよりも一首全体ののびやかな調べが魅力的だった。
 s-冬の残り20180310

 げんげんの花咲く原のかたはらに家鴨(あひる)飼ひたるきたなき池あり(明治33年)
 これは、長く病床にいた子規が、たまたま心地のよい日に人力車に乗って亀戸まで外出した時の作。茂吉は『子規短歌合評』という本の中で、「この歌も平凡で、あたり前で、『きたなき池あり』などは人を馬鹿にしてゐるなどと評する向きも出現してゐるが、この『人を馬鹿にした』やうな平凡事が、従来の歌人には見えなかったのである。・・・・・身近くの『きたなき池』一つあるのが見えなかった歌人等の群れの中に、真の『きたなき池』が見えて、それを現に歌に表現し得た人は正岡子規であつたことを忘却してはならない」と言っている。
 s-新芽④20180310

 若松の芽だちの緑ながき日を夕かたまけて熱いでにけり(明治34年)
 茂吉は昭和8年に、古事記以下明治の歌人までの百首を選んで解説した『新鮮秀歌百首』を刊行。子規からただ一首選ぶとすればこの歌になるということを茂吉は教えてくれている。茂吉は『近代秀歌五十首選』でも、明治以後の歌人五十人から一人一首を選んでいるが、子規のはやはりこの歌である。 
 s-新芽20180310

 臥しながら雨戸あけさせ朝日照る上野の森の晴をよろこぶ(明治32年)
 実験的な意図が表面に浮き出ないで、「新」よりも「真」の要素が次第に色濃く出てきていると思う。平淡のうちに至味をたたえたもので、子規調とも言うべきものを成就している。子規に学んだ伊藤左千夫も長塚節も、他の門人も結局こういうさわやかな調子は受け継がなかったというべきではなかろうか。
 s-魚影20180310
 車で15分ほどの山道を歩いていたら、崖下の大池の水中に黒い影が見えた。岩かと思って見ていると動いている。

 ガラス戸の外は月あかし森の上に白雲長くたなびける見ゆ(明治33年)
 調子がのびやかで、内容が純粋でここまで来れば申し分ない。「百中十首」の一種のごたごたした俳諧調が、2年後にはもうこんなに澄んでいるのである。これは万葉集を内面的に摂取した現われと見ることができようが、驚くべき変化だ。
 s-魚影②20180310
 魚たちが移動を始めた。
 
 瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり(明治34年)
 明治34、35年は病況が悪く、気力体力も衰えて、どしどし歌を発表するということもなくなった。しかし稀に作る歌はますます純粋になった。茂吉は「此歌を説くこと既に幾たびになるかを知らない。そこで此歌は有名になった。するとその反動として此歌はつまらぬ歌だといひ出した者が出て、それに追随する者さへ出た。目のあたり末世歌壇の悲惨な気持をおこされる事実であった」と言っている。
 子規が身動きもできない病床にあって、『仰向に寝ながら左の方を見れば、机の上に藤を活けたる』という状況なのだから、『たたみの上にとどかざりけり』というのは一つの新しい発見であり、詠歎であるのはよく分かるが、何だか『みじかければ』『とどかざりけり』というきちっとした照応が気になったので、いまでもぴんと来ない。
 s-キブシ20180310

 いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春行かんとす(明治34年)
 くれなゐの薔薇(うばら)ふふみぬ我が病(やまい)いやまさるべき時のしるしに(同年)
 これらの2首を含む歌には、子規の「心弱くとこそ人の見るらめ」とのことわりめいた言葉が付いている。左千夫は「見るも涙の種なれども、道のためとて掲げぬ」と記している。子規の最高傑作である。既掲の「若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり」もこの時のもの。
 s-ウメ②20180310

 なまよみのかひのやまめは、ぬばたまの夜ぶりのあみに、三つ入りぬその三つみなを あにおくりこし(明治35年) 
 *「なまよみの」は「甲斐」にかかる枕言葉。「なまよみの」については諸説あるが、都留文科大学の鈴木武晴さんは山並みの姿がよいと説いている。
 くれなゐの旗うごかして、夕風の吹き入るなべに、白きものゆらゆらゆらぐ 立つは誰ゆらぐは何ぞ、かぐはしみ人か花かも、花の夕顔(同年)
 子規が死んだのは明治35年9月19日であるが、8月から9月にかけては短い長歌を幾つか作った。こんな純粋で透明な感じのする長歌は、和歌史上にも見られない。
 s-ウメ20180310

 麩の海に汐みちくれば茗荷子の葉末をこゆる真玉白魚
 この歌は死ぬ半月ほど前の9月3日、新聞「日本」社長であり、隣家に住む陸羯南(くがかつなん)に宛てたもの。隣の陸家より碗盛りを御馳走されたのであろう。汁碗の様子を海にたとえて戯れている。こういう笑いの歌も若い時からの子規の持つ一面であった。この歌は新古今集の『夕月夜潮満ちくらし難波江の芦の若葉を越ゆる白波』を踏まえたもの。
 このあと子規は『糸瓜(へちま)咲て痰のつまりし仏かな」等々の俳句は詠んだが、短歌はとうとう残さなかった。

 今回は3冊の紹介。
 s-本20180310

 小川洋子『ことり』(朝日文庫)。人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて・・・。慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、著者の会心作(解説・小野正嗣)。
 小鳥はお兄さんの言葉を運んでくれているのだ、だからか弱い体でこんなに一生懸命歌うのだ、と小父さんは思う。すぐに別の一羽が新しい歌を歌いだす。続けて二羽、三羽と歌が重なってゆく。うつむいたまま、小父さんはじっとしている(本文から)。

 原田マハ『太陽の棘』(文春文庫)。終戦後の沖縄。米軍の若き軍医(精神科)・エドワードはある日、沖縄の画家たちが暮らす集落・ニシムイ美術村に行き着く。警戒心を抱く画家たちであったが、自らもアートを愛するエドは、言葉、文化、何よりも立場の壁を越え、彼らと交流を深める。だがそんな美しい日々に影が忍び寄る。実話をもとにした感動作(解説・佐藤優)。
 表紙の肖像画が魅力的。玉那覇正吉「スタンレー・スタインバーグ」。スタンレー・スタインバーグは現在93歳、サンフランシスコ在住の精神科医。24歳から3年半、沖縄の基地に勤務。当時スタインバーグと交際のあった玉那覇正吉、安谷屋正義、安次峯金正らは、後に沖縄画壇を代表する作家になる。

 原田マハ『キネマの神様』(文春文庫)。39最独身の歩(あゆみ)は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が判明した。ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。"映画の神様"が家族を救う、奇跡の物語(解説・片桐はいり)。

 この小説の中にいくつか出てくる館名の中でたったひとつだけ実在する映画館、「シネスイッチ銀座」で、片桐はいりさんはかつて働いていたとのこと。そして、作者の原田マハさんは、実家近くの池袋文芸坐でバイトしていたとのこと。
 還太郎は昭和47、48年頃、ほぼ毎週2回文芸坐に通っていた。1回は邦画を、2回目は洋画を見るためである。アパートとバイト先の次に時間を過ごしたのは、多分文芸坐ではないかと思う。映画館と、神田の古書店街で買った本を読みながらアパートで過ごした時間が、いま掛け替えのない思い出である。文芸坐は作家の三上寛が1956年に開設。株主は吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らで「文士経営」と呼ばれたとのこと。
 最近、毎回のブログが長すぎるようで、それでなくとも少ない読者がさらに減少している気配あり。「拍手」も「コメント」も絶滅危惧状態。読者の皆様、ブログ作成の励みを賜るべく、良し悪しに拘わらず、見たよという印に末尾の「拍手」アイコンをクリックいただければと。

 今日は東日本大震災から7年目。合掌。 それでは、皆さまお元気で !!

円枘方鑿(えんぜいほうさく)

 「円枘方鑿」(えんぜいほうさく)は「円鑿方枘」(えんさくほうぜい)とも。物事がうまくかみ合わないことの譬え。「円鑿」は丸い穴のこと。「鑿」は穴をあけるという意味から、穴の意味にもなる。「方枘」は四角い枘という意味。「枘」は突起物。要するに、丸い穴に四角い棒を入れようとしても入らないということ(今年のタイトルは漱石の「草枕」の難解熟語)。
 今回の歌人は吉野秀雄。テキストは「わが愛する歌人 第二集」(有斐閣新書、昭和53年刊)。解説は片山貞美。

 吉野秀雄、明治35年7月3日~昭和42年7月13日。群馬県出身。生家は織物問屋。慶應義塾大在学中正岡子規の作歌と歌論に啓発されて短歌に志し、のちに会津八一に入門。終生病弱の上に家庭的な不幸にたびたび遭遇したが求道的作家生活を貫き、かたわら書道にもすぐれた。昭和33年読売文学賞、昭和42年第一回釈迢空賞などを受賞。

 s-白梅②20180304

 時あまりあたたかき酒を酌みゐしが出で来しちまた時雨降るなり(昭和11年)
詞句は古風だが、たとえば「時あまり」を二時間余と訳するには及ぶまいし、「ちまたに時雨降るなり」もあたかき酒」に応じて外気にふれた感じを読者は共感できる。「なり」など現代ではともすると古臭を発するが、こういう使用を見ると決してそうでないことがわかる。

 s-白梅20180304

 泰山木の高き梢に咲く花の花心をみむと二階より見つ(昭和13年)
泰山木の、見上げると高い梢に葉がくれになって咲いている玉碗のような花の内側の心(しん)を見たいものだと、二階に上がって覗き見た。「泰山木の」と六音で読むと、次の句「高き」とは少し離れるから作者の仰向くさまが現れる。「二階より見つ」の伏線である。「高き梢に咲く」とその通り空気がきれいだが、「花の花心を」に至って清浄でなまなましくゆたかな自然の本体にふれる思いをさせられる。「二階より見つ」はそれが現実のことであるのを言いおさえることで花の美しさをいっそう充実させている。

 s-赤い芽20180304

 「奈良博物館諸像」
 みほとけは五体失せにし心木もて千とせの末のいまもすがしき
み仏は頭・頸・胸・手・足がなくなってしまって、残った心木によってだが、千年も時のたった末の今でもすがすがしさに充ちておいでだ。

 s-新緑②20180304

 「東大寺三月堂」
 胸ひろに不空羂索(ふくうけんじゃく)立ちませば梵釈二光四王し控ふ
 不空羂索観世音を中心に、梵天・帝釈天・日光菩薩・月光菩薩・持国天王・増長天王・広目天王・多聞天王が前後左右に立ち並ぶ。まず「ふくうけんじゃく」という音声のひびきに発想の価値があろうし、つづく「ぼんしゃくにこうしおう」という渋い穏やかな音声は、かれが「立つ」に対しての動作「控ふ」に適応した表現となっている。

 s-新緑20180304

 「建長寺仏生会」
 春の雨大悲のごとく降り足れば老柏槇(ろうびゃくしん)の葉は雫せり
 春の雨はみ仏が衆生の苦を救抜したまう大悲を思わせてゆたかに降って万物うるおい、老樹柏槇の葉は雫をあまして滴っている。「大悲」とは「大慈」と並べて唱え、「慈」は衆生に楽しみを与えること、「非」は衆生の悲しみを抜くことを言う。
 一首の眼目は「大悲」であるが、「春の雨」「降り足れば」はその具体的な実現であり、「老柏槇」はその樹幹に百錬万鍛を経た人格を思わせて老巧だし、その葉は繊美で潤おい、その余沢は「雫せり」に描き尽くされる。

 s-紅梅20180304

 贅肉(あまりじし)なき肉(しし)置きの婀娜(たをやか)にみ面もみ腰もただうつつなし
奈良・秋篠寺の伎芸天を写した。「贅肉」を「余り肉」とくだき「たおやか」に「婀娜」の字を用いた。やまとことばに統一したわけであるが、そればかりでは異国渡来の趣味が失われるから漢字表現を加えたのであろう。実際を見れば「二百二、三十センチか、頭部は天平の乾漆製、体躯は鎌倉の寄木造り」といった乾漆面の享感と立像の日本人にはない体躯の量感をわたしは受け取るのである。「清純で端麗で、しかも婀娜なふぜいに富んでゐる」「あだっぽいうへに、さらに憂ひをふくみ、これがもろもろを悩殺する」と作者は言う。

 s-春を待つ20180212

 幼子は死にゆく母とつゆ知らで釣りこし魚の魚籃(びく)を覗くかす
昭和19年8月。作者の妻女が42歳で永眠。昭和22年になって発表された「これやこの一期のいのち炎立(ほむらだち)せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹」は、歌壇の耳目を強く驚かした。

 s-紅梅③20180304

 重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け
「重吉」は詩人八木重吉。重吉の妻と作者は再婚した。一日、新夫婦は重吉の墓前に冥福を祈った。一首の表現は対象を叙するに素朴で率直であらわに明るく、作者の妻をいたわる誠実な気持ちがほとばしっている。

 s-紅梅②20180304

 「瑞泉寺の春」
 山陰の清水を祝ふ輪飾りは丹の椿咲く枝にかかれり
一首どことなく俳味が感じられ、これも吉野秀雄の特色である。「輪飾り」は季語であるけれども、季語だからといってただちに俳趣を帯びはしない。ただ対象が新年における寺の習俗のひとつであって、叙し方が純客観的で、いわば「花鳥諷詠」的なのである。
 s-春芽20180304
 
 蕾張る老梅の下の玉笹に年あらたなる日は射しにほふ(昭和8年)
印象が濃くて明快で、超俗的でもある。

s-ホトケノザ20180304

 虚子の居を厨より訪へば女中らが栗剥けり翁は栗飯食ふらし(昭和33年かな)
秀雄の文がある。「自分の歌集を持って虚子庵をおとづれたが、普請の最中だつたので、勝手口で翁の桃色のお顔を仰ぎ、数語交はしただけで辞去した。女中さんが二人、栗をむいていた。翁は栗めしを食べて一句作るのだろうかなどと思った」。
歌は文に書かれた事実そのままを写して直接端的。目前にするごとくで、しかも「らし」は作者の心裏を写したので虚子翁を目前にしていないさまである。想像裏に虚子の起居が現れる。作者は勝手口にあり、女中たちはその台所で栗をむき、奥では、となって場面は立体的となる。活写といってよい。
 s-ナズナ20180304

 3月4日、昨日に続き好天。アパートの部屋のシクラメンも伸び伸びしてる。  
 s-シクラメン20180304

 はるや春。皆さま、よい春をお過ごしください。
プロフィール

kantarou+5

Author:kantarou+5
週末の近郊里山徘徊を楽しみつつ、足腰の衰えを防止しています。読書やドライブも好きです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム