無絃の琴を霊台に聴く(むげんのきんをれいだいにきく)

 「無絃の琴を霊台に聴く」。絃の無い琴の音色を霊台(周の文王が建てた物見台、転じて天文台)。詩人の陶淵明は琴に弦を張らず、ただ眺めていたという。また菜根譚には「無絃の琴を聴き、無字の書を読む」という。要するに無窮の世界を言っている由。興味のある方は「弦の無い琴をひく」を検索願う。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語)

 さて、今回の短歌は川田順。テキストは『わが愛する歌人 第四集』(有斐閣新書・1978年刊)。解説は橋本喜典。
 川田順(明治15年1月15日~昭和41年1月22日)は東京都出身。城北中学、一高をへて、東大法学部卒業。住友本社に入社し常務理事となったが、昭和11(54歳)年実業界を引退。明治30年「竹柏会」に入門、佐佐木信綱に師事。大正13年、「日光」の創刊に参加。昭和17年歌集『鷲』によって第一回帝国芸術院賞受賞。昭和23年宮中歌会始の選者、昭和37年芸術院会員となる。

 わがこころ環(たまき)の如くめぐりては君をおもひし初めに帰る

 この歌は歌集『東帰』(昭和27年刊)の一首。この歌の「君」は京都大学教授中川与之助夫人俊子であり、俊子は当時39歳、順は67歳。二人の関係が発覚し、三者はそれぞれ懊悩の五百日を経て、漸く解決の話がでていた矢先、順は自責の念からか、遺書を知己に郵送して、亡き妻和子の墓前にて自殺を図った。結局、順と俊子は昭和24年3月に結婚し、国府津に住む。(最初の妻和子は昭和14年12月脳溢血で急逝。)

 s-ツツジ20180419

 夕顔や戸による母のおももちを幼な心にあやしみしわれ

 これは処女歌集『伎芸天』(大正7年)の「根岸の思出』一連中のもの。順の父は宮中顧問官文学博士川田剛。生母はその父の側室で蔵前の商家の女、本田かね。そうことで順は父の家には住むことができず、生母と共に根岸の別邸に住み、明治26年生母の病没後は妹美佳子とともに牛込の本邸に引き取られた。
 明治32年9月、第一高等学校文科に入学。島崎藤村、薄田泣菫らの感化でしきりに新体詩を作り、また近松、シェークスピアに興味を覚えて、それらの研究は爾後十余年に及んだ。
 明治25年東大文科(英文科)に入り、翌年9月法科に転籍。当時、歌の師佐佐木信綱は「君の転科については自分はまことに遺憾に堪へないでかたくとどめたのであった。然し君は之を断行した。文科は去るが文学は捨てぬと、君は自分に答へた。」と記している。卒業後は住友本店(大阪)に勤務。

 s-ツツジ⑤20190422

 寧楽(なら)へいざ技芸天女のおん目見(まみ)にながめあこがれ生き死なんかも

 大阪へ移ってからは、しきりに近畿の名勝古蹟を巡っては歌を作った。歌は、「奈良へさあ出かけて、技芸天女のその目のいろをながめ、その美しさに憧れながら、生きそして死にたいものだ」の意。

 s-ツツジ⑨20180422

 布さらし秋のあしたの眼もさやに一すぢの水山より来(きた)る 

 これは「河内柏原」にて。発想は情緒的だが、順の眼が庶民の生活に向けられていることがわかる。凛然とした秋気を感じさせる冴えた歌だ。

 s-ツバキかな20180422

 匠等(たくみら)は春のゆうべの床の上(へ)にあぐらゐ黙りはたらけるかも

 唐招提寺の講堂の中で、仏師たちが黙々と古い仏像の修繕をしている様子を歌っている。

 s-アイリスかな20180422

 鳴門の渦のまはりを渦なりに大きく廻って下りゆく船あり

 大正8年9月、窪田空穂は大阪に一週間ほど滞在した。昼間は名勝古蹟を巡り、夜は順との歓談を楽しんだ。空穂は「私たちは同窓の学生が、何もかも知り合ひぬいてゐる者が、後年再びめぐり合つた時にのみ感じるやうな親しさと安らかさを、氏の家庭から得ることができました」と記している。この空穂との対面が一つの契機となって、順は浪漫主義から写実主義への転換を遂げていく。上掲の歌は『青淵』(昭和5年刊)から。

 s-ツツジ④20180419

 わたの原秋近けれや天雲の寄り合ひのはてのいやはろかなる

  s-菜の花20180422

 薬師岳は朝日のさせる山腹(やまばら)に雪の斑点(まだら)の大きく粗き

  これは歌集『鷲』(昭和15年刊)の「立山」の連作から。『鷲』は第一回帝国芸術院賞を受けた。
  実業家としての順は、住友本社経理課長、住友製鋼所支配人、総本社総務部長を歴任後、『青淵』を上梓した昭和5年8月には常務理事に抜擢され、次期総理事の席が約束されているかのように見えていた昭和11年5月、突然辞職。以後、文筆家としての活躍はめざましく、歌集以外の著作も次々と刊行した。 

 s-ツツジ③20180419

 見上ぐらく山原のそらを飛ぶ鷲の大き翼の白班(しらふ)かがよふ
 
 s-シャクヤクかな20180422

山空をひとすぢに行く大鷲の翼の張りの澄みも澄みたる  

 s-ツツジ②20190419
 
 立山の外山が空の蒼深み一つの鷲の飛びて久しき

 s-シャクヤクか牡丹か②20180422
 
 大鷲の下(お)りかくろひしむかつ山竜王岳は弥(いや)高く見ゆ 

 s-シャクヤクか牡丹か20180422

 川田順は「文科は去るが文学は捨てぬ」と言った通りの人生を生きた。凄い人がいたのだと、今回も勉強になった。

 昨日・今日は夏日。昨年から今年にかけて「前期高齢者」と呼ばれるようになった同級生諸君、熱中症にも油断召されるな!!

銅臭児(どうしゅうじ)

「銅臭」どうしゅう)は銅銭のもつ悪臭。「児」は人を見下げた言い方。金銭をむさぼり、また、金銭によって官位を得るなど、金力にまかせた処世を送る者を卑しむ意。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語)

 今回の短歌は古泉千樫(こいずみちかし)。テキストは『わが愛する歌人 第四集』(有斐閣新書・1978年11月刊)。解説は吉田漱。 吉田は、古泉千樫を「高雅な明るさと悲哀 望郷のうたびと」と評している。

 古泉千樫〔明治19年(1886年)9月26日~昭和2年(1927年)8月11日〕。千葉県出身。明治43年千葉町教員講習所をでて小学校教員となる。明治37年18歳のとき「馬酔木」に短歌を投稿し、2首えらばれたのを機縁に伊藤左千夫に師事。明治41年蕨真によって下総より「アララギ」創刊。翌42年「アララギ」発行所が東京に移り左千夫によって刊行されたので本所緑町に移り、その編集を手伝い、茂吉、赤彦、憲吉、文明らとともに主要同人となる。

 君が目を見まくすべなみ五月野の光のなかに立ちなげくかも

 5月の野は光がみちわたり、山も木もみどりが生き生きとあかるい。そのなかにいて恋しい人に逢いたいと思いながら逢うことができず、明るいだけにいっそう歎きも深い。
 千樫の作品を読み進んでゆくと、こうした明るさの中にいての歎き、さびしさという感じに触れないわけはいかない。 
 s-新緑の山20180408

 ま昼まの路上に吾れの影くろしひとりまぶしく歩みつるかも

 この歌にも、何かに口ごもりうつむいている千樫の姿が見え隠れする。
 s-菜の花20180408

 あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき

 これは斎藤茂吉の歌。千樫が編集人であった時期、「アララギ」の度重なる遅刊に茂吉が憤激し電話で怒鳴ったという話や、千樫自身、歌集『川のほとり』巻末記に「言語道断懶惰なわたしは」と書いていることもあり、事務作業は不得意だったのか。
 s-梨かな20180408

 みんなみの嶺岡山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも

 嶺岡山は生家の庭に立つと南側になだらかな牛の背のような形でそびえている。その山のゆるやかな傾斜が牧場になっていた。「焼くる火」はその草に放った火であり、夜になっても赤々ともえひろがるのが庭から見える。この歌は単に写生の歌ではない。
 s-白い花20180408

 山火事の火影おぼろに宵ふけて家居かなしも妹(いも)に恋ひつつ

 千樫の恋い思う人は人妻であり、子持ちで十歳も年上であった。その屈折しくぐもったなげきは嶺岡山の火の色に触発され、いっそう下燃えにひろがるかのようである。それでこそ前掲の歌は単なる風景写生の作品以上に深い哀調がにじみ出てくるようだ。
 s-赤い葉20180408

 吹く風に椎の若葉の日のひかりうち乱りつつありてがなくに

 千樫はその後、自分では「世にそむき」とうたいながら、その恋愛は成就し結婚した。後年亡くなる前の年、病をおしてこのふるさとの山に登る。

 二つ山三角標のもとに咲くすみれの花をまたたれか見む
 s-新葉⑤20180408

 夜は深し燭を継ぐとて起きし子のほのかに冷えし肌のかなしさ 

 これは、いまではその相聞の相手が原阿佐緒(はらあさお)であることがわかっている。阿佐緒は明治42年に「女子文壇」に投稿し、与謝野晶子に認められ天賞をうけた。新詩社にも入り、43年には「スバル」にも参加。阿佐緒は大正2年、第一歌集『涙痕』を刊行している。
 宮城県の旧家に生まれるも若くして父を失い、結婚するはずであった養嗣子の若死に、日本女子美術学校在学中に妻子ある男性にだまされて自殺を図るなど、精神肉体ともに傷だらけになる。『涙痕』はそれから生まれた一冊であった。世評も高く、才にはじけ、若くて美貌、悲劇的な生活、また寄るべない孤独の歌の数々といった印象が多くの人与えられた。千樫も批評でこれをとりあげている。
 s-新葉④20180408

 ぬばたまの夜の海走る船の上に白きひつぎをいだきわが居り
 
 そんな頃、千樫は生まれ4ヶ月の次女を失う。子をなくした千樫も苦しかったが、阿佐緒の方もなやみ、千樫との間に終止符をうつべく嫁いでいった。
 s-新葉③20180408

 夜寒く帰り来ればわが妻ら明日焚かむ米の石ひろひけり  
 s-新葉②20180408

 帰りきて雨夜の部屋に沈丁花匂へば悲しほてる身体に

 前掲のような庶民生活の哀感を歌ったりもするが、阿佐緒との恋愛感情は作品の間にみえかくれしている。
 s-新葉20180408

 切にして人の思ほゆ闇ながら若葉の森のゆらぐを見れば
 s-紫の花②20180408

 秋さびしもののともしさひと本(もと)の野稗の垂穂(たりほ)瓶(かめ)にさしたり s-紫の花20180408

 うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも   
 s-桜20180408
 
 雹まじり苗代小田にふる雨のゆゆしくいたく郷土(くに)をし思ほゆ
 s-新緑の山②2018408

 昨日(4/7)、いつもの本屋さんで『本所おけら長屋』(畠山健二・PHP文芸文庫)の1と2を買った。落語か講談の名人の話芸のようなノリの良さ。16時頃に再度本屋さんに行き、3~10を買う。既に5まで読了。たぶん就寝前に6も読み終えると思う。こんなスピードで読むのは北方謙三の『水滸伝』・『楊令伝』以来かも。掃除・洗濯、山歩き、通院、洗車、クリーニング屋さん、飲・食料買い出し、ブログ作成等々、充実の週末・・・。体重もUNDER80が射程距離に入ってきた。
 皆さま、お元気にお過ごし願います。

徹骨徹髄(てっこつてつずい)

 「徹骨徹髄」は、骨身にしみること、ものごとの中核、真髄まで達すること。「骨髄に徹する」言葉から生まれた造語。(今年のタイトルは漱石・「草枕」の難解熟語)
 
 今回の短歌は伊藤左千夫。テキストは『わが愛する歌人・第4集』有斐閣新書・昭和53年刊。解説は扇畑忠雄。
 伊藤左千夫〔元治1年(1864年)8月18日~大正2年(1913年)7月30日〕、千葉県出身。実家は農業。明治14年、18歳のとき上京。政治家を志し、明治法律学校に学んだが、眼疾のため退学帰郷。22歳のとき再び上京し、京浜間の牛乳店、牧場で働く。明治22年本所茅場町に牛乳搾取業を営んで生涯にわたった。
 啄木の左千夫評によると「風采はマルデ田舎の村長様みたいで、随分ソソッカシい男だ」とのことだが、島木赤彦、古泉千樫、斎藤茂吉、中村憲吉、土屋文明らの優れた門人を輩出した。

 秋草のいづれはあれど露霜に痩せし野菊の花をあはれむ

 野菊は、左千夫の小説「野菊の花」の少女民子のイメージともいうべく、幼くて可憐な恋愛を象徴する花であった。『ほろびの光』に歌われた鶏頭もツワブキも作者の好きな花だったにちがいない。この花々は寂滅に向かう宗教的な諦念の世界をいろどる形象として、深い意味を持つ存在であった。

 s-20180328桜

 おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く
 
 s-馬酔木20180329

 鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
 
 s-防火水槽の脇で20180329

  秋草のしどろが端(はし)にものものしく生きを栄ゆるつわぶきの花

 s-黄色の花20180329

 鶏頭の紅(べに)古りて来し秋の末や我れ四十九の年行かんとす
  
 s-馬酔木②20180331

 今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光

 この大正元年作「ほろびの光」一連の五首が、翌年逝去した左千夫の最晩年に達成した傑作であることは誰も否定できないであろう。晩秋の朝露の下りた庭前の景物、柿落葉や鶏頭の花やツワブキの花を素材としながら、単なる自然描写に終わらず、「或期間から深く宗教にも参じた左千夫が、遂に一草一木にもその生の寂滅を観得するに至った」と、茂吉も評している。 

 s-枝垂れ桜20180331

 みづみづしき茎のくれなゐ葉のみどりゆづり葉汝(なれ)は恋のあらはれ 

 「みづみづしき茎のくれない」や「葉のみどり」の感覚からユズリ葉を「恋」の象徴とまで見ているところに、左千夫がそれらの植物を単なる客体として描写するだけではなく、対象を作者の側に引きよせた主体的な作家態度をうかがうことができよう。

 s-桜2018331

 さみだれの小暗き庭にくれなゐの光をともす夾竹桃の花

 左千夫は合歓、夾竹桃、秋海棠、野菊などを好んでいる。ほのかに紅い花や清楚で可憐な花が一種の恋愛的情調に通ずるからであろう。

 s-ヤマザクラ20180401

 人の住む国辺(くにべ)を出でて白波が大地両分(ふたわ)けしはてに来にけり

 s-コブシ20180401

  春の海の西日にきらふ遥かにし虎見が崎は雲となびけり

 これらは九十九里浜を詠んだもの。天地創造の原始を思わせるような雄渾で緊迫した歌風は、他に類を見ないのではあるまいか。

 s-いろはもみじ20180401

 以下は『冬のくもり』から。

 我がおもひ深くいたらば土の底よみなる友に蓋(けだ)し通はむ
 s-青い花20180401

 よみにありて魂(たま)静まれる人らすらもこの淋しさに世をこふらむか
 s-新葉②20180401

 裏戸出でて見る物もなし寒む寒むと曇る日傾く枯葦の上に
 s-新葉20180401

 ものこほしくありつつもとなあやしくも人厭(いと)ふこころ今日もこもれり

 s-桜の山20180401

 よみにありて人思はずろうつそみの万(よろず)を忘れひと思はずろ

 茂吉は、「全体を貫く漢字は悲哀であり憂鬱であり、暫し周囲と断って籠りたい感じである。天地に満ちわたる悲哀といふやうなものを既に表現し了せているのである」と評している。
 s-ヤマザクラ②20180401

 今週読んだ本。売れっ子の二人の作。「おもかげ」の主人公は65歳で退職する送別会の晩に、帰宅の電車の中で倒れて意識不明に。同い年の還太郎には身につまされる作品。「アノ二ム」は美術ものながら、国際陰謀痛快撃退小説。
 s-本20180401
 
 25日は上野公園へ、31日は笠間へ行き、満開の桜を楽しんだ。皆さま、ご健勝にお過ごしください。
  
 

 

悪魔のような声と身ぶりで

☆今回は広告です☆ 

 今年、友人が翻訳した本が2冊、出版された。1冊目は『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』 ポール・マー・ジュニア編(うから 2018・1・20)。もう1冊は『マリーンワン』 ジェームス・W・ヒューストン(小学館文庫 2018・3・11)。

 『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』は3月11日の朝日新聞の書評欄で取り上げられた。評者は音楽家の細野晴臣氏(1978年、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラを結成、1983年解散)。
 
               s-トムウェイツ  
 
 以下は、朝日新聞書評。PDF化された書評をいじくったらWordに変換できてしまった。

 悪魔のような声と身ぶりで繊細な歌を紡ぐトム・ウェイツは、とても演劇的なパフォーマーだ。それに惑わされるせいか、取っつきにくいという印象も拭えない。しかし本書を読み進めば、彼の音楽に向き合う真摯な姿勢や、他者に対する誠実さが明らかになる。
 1973年の衝撃的なデビューから2009年までの数多くのメディアによるインタビュー記事からその姿が浮かぶ。その真面目さは僕も初めて知った。彼は一見破滅的に見える音楽家だが、とくに結婚後は崇拝する作家ケルアックのような、荒んだ暮らしを実生活や芸術に組み込むことを良しとしなかったようだ。
 ウェイツはまた、いろいろな表現で語られることが多い。たとえば「ディランよりディランらしい」。こ のニューズウィーク誌の位置づけは、ボブ・ディランがスーパースターでなけれウェイツのように活動していたであろうと思わせる。「土曜の夜の詩人」とは、読書好きの彼がケルアックの列に並ぶ詩人という、もはやポップスの枠には収まり切らない作家性への称賛だろう。今の米国でこんな存在は他にいない、という評価でもある。
 一方、アルバムを多作し、ツアーを休まず続けてきたウェイツにも疲労や自作への「飽き」があったという。そもそもコメディアンの素養があったらしく、舞台での話術が歌を凌駕していったことも興味深い。映画にも出演し、自身でトム・ウェイツを演じてきた様が本書からうかがえる。
 とはいえ、まずはウェイツの音楽を聴いてほしい。印象とは裏腹に緻密なプロデュースがなされていて、音楽を魅力的に仕上げているのだ。そして彼の音楽愛好家という側面、それこそが秀逸な作品を創造する必須要素なのだろう。
 ウェイツは、多様な音楽を聴けば聴くほど音楽に敏感になる、と語る。作詞や作曲は技術だ。職人としてそれを麿くことが肝要ということだろう。共感する。


                s-マリーンワン

 作者のジェームス・W・ヒューストンは大学卒業後海軍に入り、精鋭中の精鋭のトップガンにまで昇進して除隊。その後、バージニア大学のロースクールに進み、弁護士の資格を取得。一時海軍に戻るが、カリフォルニア州のサンディエゴで弁護士活動を開始する。主に製造物責任法の訴訟に関わり、この分野で米国の最優秀弁護士10人のひとりに選ばれている。
 90年代後半から弁護士業の傍ら小説を書き始め、毎年1冊のペースで長編を発表していたが、2016年骨髄腫で死亡。(訳者あとがきから抜粋)


 海軍と弁護士活動の経験を活かした、リアリティに富みかつスピーディな話の展開に、読者は翻弄されること必至。寝不足になること請け合い。こちらも670頁の長編。還太郎は一時トム・クランシーの「ジャック・ライアン」シリーズやパトリシア・コーンウェルの「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズを耽読したが、ジェームス・W・ヒューストンの作品が続いて出版されることを切望する次第。

 今回はこれまで。天候不順の折、皆さま、ご自愛願います。

乾屎橛(かんしけつ)

乾屎橛(かんしけつ)。禅語。伝統的にくそかきべらと解されてきたが、本来は乾いた棒状の大便。常識的な観念を打破するため、仏や禅僧の比喩として用いる。(今年のタイトルは漱石・草枕の難解熟語。)
 
 3/17(土)朝の愛車。夕べの雨で空中を舞っていた花粉が叩き落されたようで、花粉まみれ。還太郎は幸いにして花粉症には罹っていないが、これほどになると気持ち悪い。
 s-花粉症にかかりそう20180317

 今回の土日はいわきへ出掛け、妻の春野菜作りの作男兼お彼岸の墓参り。以下は、妻実家の庭の光景。農作業・墓参りで忙しかったので、今回は短歌はお休み。
 s-黄色の花20180317

 s-木蓮20180317

 s-水仙②20180317

 s-新芽20180318

 s-春陽20180318

 s-ツバキ20180318

 s-ツバキ②20180318

 s-ウメ20180318

 s-ウメ②20180318

 管理機(小型の耕運機)で畑を耕しても足跡を残さない方法、苗床とその上に張るクロマルチ(雑草の繁茂の防止、地熱の保持を目的にした黒色のフィルム)の「鏡面仕上げ」の訓練。中腰でやる作業も多いので腰がちょっと痛い。
 でも農作業は嫌いではない。農作業に関しては一日の長がある妻に追いつき追い越すべく、奮闘中 !! とにかく、目に見えるように細くなっているウェスト・サイズがうれしく、会社で日課にしている緑地帯の植木の剪定と農作業が楽しくなっているこの頃。

 温かくなったり寒くなったり、天候不順です。皆さま、ご自愛願います。 
 

澌尽礱磨(しじんろうま)

澌尽礱磨(しじんろうま)。「澌尽」は尽きてなくなること、すべてなくなること。「礱磨」は摺るとか砥ぐの意。漱石は『草枕』の中で「両者の間隔がはなはだしく懸絶するときには、この矛盾はようやく澌尽礱磨して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかもしれぬ」と書いている。(今年のタイトルは『草枕』の難解熟語)
 
 s-蕾20180310

 今回の短歌は正岡子規。テキストは「わが愛する歌人 第四集」(有斐閣新書・昭和53年刊)。解説は宮地伸一。
 正岡子規、慶応3年9月17日~明治35年9月19日)。愛媛県出身。明治16年松山中学中退後政治家を志して上京。大学予備門に学び、東京帝大文科に入学したが中退し、明治25年新聞「日本」に入社。明治28年日清戦争に従軍記者として渡満。帰国の船上で喀血、以後病床に伏す。明治31年「歌よみに与ふる書」を新聞「日本」に掲載。病床に「根岸短歌会」をおこして、のちの写実主義短歌の源流をなした。 
 s-蕾②2018310
 
 もののふの屍(しかばね)をさむる人もなし菫(すみれ)花咲く春の山陰 
 赤き牡丹白き牡丹を手折(たおり)けり赤きを君にいで贈らばや
 明治31年、子規は歌論「歌よみに与ふる書」を発表し、続いて実作「百中十首」を世に示した。これを以っていわゆる短歌革新に立ち向かったのである。明治29年、30年は殆ど歌を詠んでいないが、その休止が契機となったのか、31年の大活動が始まり、「歌よみに与ふる書」は2月12日から10回、「百中十首」は2月27日から11回発表した。
 s-蕾③20180310

 大原の野を焼く男野を焼くと雉(きぎす)な焼きそ野を焼く男
 古庭の萩も芒も芽をふきぬ病癒ゆべき時は来にけり
 これらも「百中十首」から。百首の中から十首を、毎回選者を変えて選ばせたもの。子規にとって明治31年は生命の大いに躍動した年であり、輝かしい仕事をした年なのである。それまで休火山であったのを、突如として大爆発して天に高く噴煙を冲したという趣である。
 s-冬残20180310

 霜防ぐ菜畑の葉竹はや立てぬ筑波根颪(おろし)鴈を吹く頃
 人住まぬいくさのあとの崩れ家杏の花は咲きて散りけり
 以上の6首は、「百中十首」の1回目の10首から。
 s-冬の残り②2180310

 くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる (明治33年)
 こういう歌が教科書のなかにあった。これは中学生の心に自然と沁み込んでいく写生の歌で、「針やはらかに春雨のふる」という細かい表現に心惹かれたが、それよりも一首全体ののびやかな調べが魅力的だった。
 s-冬の残り20180310

 げんげんの花咲く原のかたはらに家鴨(あひる)飼ひたるきたなき池あり(明治33年)
 これは、長く病床にいた子規が、たまたま心地のよい日に人力車に乗って亀戸まで外出した時の作。茂吉は『子規短歌合評』という本の中で、「この歌も平凡で、あたり前で、『きたなき池あり』などは人を馬鹿にしてゐるなどと評する向きも出現してゐるが、この『人を馬鹿にした』やうな平凡事が、従来の歌人には見えなかったのである。・・・・・身近くの『きたなき池』一つあるのが見えなかった歌人等の群れの中に、真の『きたなき池』が見えて、それを現に歌に表現し得た人は正岡子規であつたことを忘却してはならない」と言っている。
 s-新芽④20180310

 若松の芽だちの緑ながき日を夕かたまけて熱いでにけり(明治34年)
 茂吉は昭和8年に、古事記以下明治の歌人までの百首を選んで解説した『新鮮秀歌百首』を刊行。子規からただ一首選ぶとすればこの歌になるということを茂吉は教えてくれている。茂吉は『近代秀歌五十首選』でも、明治以後の歌人五十人から一人一首を選んでいるが、子規のはやはりこの歌である。 
 s-新芽20180310

 臥しながら雨戸あけさせ朝日照る上野の森の晴をよろこぶ(明治32年)
 実験的な意図が表面に浮き出ないで、「新」よりも「真」の要素が次第に色濃く出てきていると思う。平淡のうちに至味をたたえたもので、子規調とも言うべきものを成就している。子規に学んだ伊藤左千夫も長塚節も、他の門人も結局こういうさわやかな調子は受け継がなかったというべきではなかろうか。
 s-魚影20180310
 車で15分ほどの山道を歩いていたら、崖下の大池の水中に黒い影が見えた。岩かと思って見ていると動いている。

 ガラス戸の外は月あかし森の上に白雲長くたなびける見ゆ(明治33年)
 調子がのびやかで、内容が純粋でここまで来れば申し分ない。「百中十首」の一種のごたごたした俳諧調が、2年後にはもうこんなに澄んでいるのである。これは万葉集を内面的に摂取した現われと見ることができようが、驚くべき変化だ。
 s-魚影②20180310
 魚たちが移動を始めた。
 
 瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり(明治34年)
 明治34、35年は病況が悪く、気力体力も衰えて、どしどし歌を発表するということもなくなった。しかし稀に作る歌はますます純粋になった。茂吉は「此歌を説くこと既に幾たびになるかを知らない。そこで此歌は有名になった。するとその反動として此歌はつまらぬ歌だといひ出した者が出て、それに追随する者さへ出た。目のあたり末世歌壇の悲惨な気持をおこされる事実であった」と言っている。
 子規が身動きもできない病床にあって、『仰向に寝ながら左の方を見れば、机の上に藤を活けたる』という状況なのだから、『たたみの上にとどかざりけり』というのは一つの新しい発見であり、詠歎であるのはよく分かるが、何だか『みじかければ』『とどかざりけり』というきちっとした照応が気になったので、いまでもぴんと来ない。
 s-キブシ20180310

 いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春行かんとす(明治34年)
 くれなゐの薔薇(うばら)ふふみぬ我が病(やまい)いやまさるべき時のしるしに(同年)
 これらの2首を含む歌には、子規の「心弱くとこそ人の見るらめ」とのことわりめいた言葉が付いている。左千夫は「見るも涙の種なれども、道のためとて掲げぬ」と記している。子規の最高傑作である。既掲の「若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり」もこの時のもの。
 s-ウメ②20180310

 なまよみのかひのやまめは、ぬばたまの夜ぶりのあみに、三つ入りぬその三つみなを あにおくりこし(明治35年) 
 *「なまよみの」は「甲斐」にかかる枕言葉。「なまよみの」については諸説あるが、都留文科大学の鈴木武晴さんは山並みの姿がよいと説いている。
 くれなゐの旗うごかして、夕風の吹き入るなべに、白きものゆらゆらゆらぐ 立つは誰ゆらぐは何ぞ、かぐはしみ人か花かも、花の夕顔(同年)
 子規が死んだのは明治35年9月19日であるが、8月から9月にかけては短い長歌を幾つか作った。こんな純粋で透明な感じのする長歌は、和歌史上にも見られない。
 s-ウメ20180310

 麩の海に汐みちくれば茗荷子の葉末をこゆる真玉白魚
 この歌は死ぬ半月ほど前の9月3日、新聞「日本」社長であり、隣家に住む陸羯南(くがかつなん)に宛てたもの。隣の陸家より碗盛りを御馳走されたのであろう。汁碗の様子を海にたとえて戯れている。こういう笑いの歌も若い時からの子規の持つ一面であった。この歌は新古今集の『夕月夜潮満ちくらし難波江の芦の若葉を越ゆる白波』を踏まえたもの。
 このあと子規は『糸瓜(へちま)咲て痰のつまりし仏かな」等々の俳句は詠んだが、短歌はとうとう残さなかった。

 今回は3冊の紹介。
 s-本20180310

 小川洋子『ことり』(朝日文庫)。人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて・・・。慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、著者の会心作(解説・小野正嗣)。
 小鳥はお兄さんの言葉を運んでくれているのだ、だからか弱い体でこんなに一生懸命歌うのだ、と小父さんは思う。すぐに別の一羽が新しい歌を歌いだす。続けて二羽、三羽と歌が重なってゆく。うつむいたまま、小父さんはじっとしている(本文から)。

 原田マハ『太陽の棘』(文春文庫)。終戦後の沖縄。米軍の若き軍医(精神科)・エドワードはある日、沖縄の画家たちが暮らす集落・ニシムイ美術村に行き着く。警戒心を抱く画家たちであったが、自らもアートを愛するエドは、言葉、文化、何よりも立場の壁を越え、彼らと交流を深める。だがそんな美しい日々に影が忍び寄る。実話をもとにした感動作(解説・佐藤優)。
 表紙の肖像画が魅力的。玉那覇正吉「スタンレー・スタインバーグ」。スタンレー・スタインバーグは現在93歳、サンフランシスコ在住の精神科医。24歳から3年半、沖縄の基地に勤務。当時スタインバーグと交際のあった玉那覇正吉、安谷屋正義、安次峯金正らは、後に沖縄画壇を代表する作家になる。

 原田マハ『キネマの神様』(文春文庫)。39最独身の歩(あゆみ)は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が判明した。ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。"映画の神様"が家族を救う、奇跡の物語(解説・片桐はいり)。

 この小説の中にいくつか出てくる館名の中でたったひとつだけ実在する映画館、「シネスイッチ銀座」で、片桐はいりさんはかつて働いていたとのこと。そして、作者の原田マハさんは、実家近くの池袋文芸坐でバイトしていたとのこと。
 還太郎は昭和47、48年頃、ほぼ毎週2回文芸坐に通っていた。1回は邦画を、2回目は洋画を見るためである。アパートとバイト先の次に時間を過ごしたのは、多分文芸坐ではないかと思う。映画館と、神田の古書店街で買った本を読みながらアパートで過ごした時間が、いま掛け替えのない思い出である。文芸坐は作家の三上寛が1956年に開設。株主は吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らで「文士経営」と呼ばれたとのこと。
 最近、毎回のブログが長すぎるようで、それでなくとも少ない読者がさらに減少している気配あり。「拍手」も「コメント」も絶滅危惧状態。読者の皆様、ブログ作成の励みを賜るべく、良し悪しに拘わらず、見たよという印に末尾の「拍手」アイコンをクリックいただければと。

 今日は東日本大震災から7年目。合掌。 それでは、皆さまお元気で !!

円枘方鑿(えんぜいほうさく)

 「円枘方鑿」(えんぜいほうさく)は「円鑿方枘」(えんさくほうぜい)とも。物事がうまくかみ合わないことの譬え。「円鑿」は丸い穴のこと。「鑿」は穴をあけるという意味から、穴の意味にもなる。「方枘」は四角い枘という意味。「枘」は突起物。要するに、丸い穴に四角い棒を入れようとしても入らないということ(今年のタイトルは漱石の「草枕」の難解熟語)。
 今回の歌人は吉野秀雄。テキストは「わが愛する歌人 第二集」(有斐閣新書、昭和53年刊)。解説は片山貞美。

 吉野秀雄、明治35年7月3日~昭和42年7月13日。群馬県出身。生家は織物問屋。慶應義塾大在学中正岡子規の作歌と歌論に啓発されて短歌に志し、のちに会津八一に入門。終生病弱の上に家庭的な不幸にたびたび遭遇したが求道的作家生活を貫き、かたわら書道にもすぐれた。昭和33年読売文学賞、昭和42年第一回釈迢空賞などを受賞。

 s-白梅②20180304

 時あまりあたたかき酒を酌みゐしが出で来しちまた時雨降るなり(昭和11年)
詞句は古風だが、たとえば「時あまり」を二時間余と訳するには及ぶまいし、「ちまたに時雨降るなり」もあたかき酒」に応じて外気にふれた感じを読者は共感できる。「なり」など現代ではともすると古臭を発するが、こういう使用を見ると決してそうでないことがわかる。

 s-白梅20180304

 泰山木の高き梢に咲く花の花心をみむと二階より見つ(昭和13年)
泰山木の、見上げると高い梢に葉がくれになって咲いている玉碗のような花の内側の心(しん)を見たいものだと、二階に上がって覗き見た。「泰山木の」と六音で読むと、次の句「高き」とは少し離れるから作者の仰向くさまが現れる。「二階より見つ」の伏線である。「高き梢に咲く」とその通り空気がきれいだが、「花の花心を」に至って清浄でなまなましくゆたかな自然の本体にふれる思いをさせられる。「二階より見つ」はそれが現実のことであるのを言いおさえることで花の美しさをいっそう充実させている。

 s-赤い芽20180304

 「奈良博物館諸像」
 みほとけは五体失せにし心木もて千とせの末のいまもすがしき
み仏は頭・頸・胸・手・足がなくなってしまって、残った心木によってだが、千年も時のたった末の今でもすがすがしさに充ちておいでだ。

 s-新緑②20180304

 「東大寺三月堂」
 胸ひろに不空羂索(ふくうけんじゃく)立ちませば梵釈二光四王し控ふ
 不空羂索観世音を中心に、梵天・帝釈天・日光菩薩・月光菩薩・持国天王・増長天王・広目天王・多聞天王が前後左右に立ち並ぶ。まず「ふくうけんじゃく」という音声のひびきに発想の価値があろうし、つづく「ぼんしゃくにこうしおう」という渋い穏やかな音声は、かれが「立つ」に対しての動作「控ふ」に適応した表現となっている。

 s-新緑20180304

 「建長寺仏生会」
 春の雨大悲のごとく降り足れば老柏槇(ろうびゃくしん)の葉は雫せり
 春の雨はみ仏が衆生の苦を救抜したまう大悲を思わせてゆたかに降って万物うるおい、老樹柏槇の葉は雫をあまして滴っている。「大悲」とは「大慈」と並べて唱え、「慈」は衆生に楽しみを与えること、「非」は衆生の悲しみを抜くことを言う。
 一首の眼目は「大悲」であるが、「春の雨」「降り足れば」はその具体的な実現であり、「老柏槇」はその樹幹に百錬万鍛を経た人格を思わせて老巧だし、その葉は繊美で潤おい、その余沢は「雫せり」に描き尽くされる。

 s-紅梅20180304

 贅肉(あまりじし)なき肉(しし)置きの婀娜(たをやか)にみ面もみ腰もただうつつなし
奈良・秋篠寺の伎芸天を写した。「贅肉」を「余り肉」とくだき「たおやか」に「婀娜」の字を用いた。やまとことばに統一したわけであるが、そればかりでは異国渡来の趣味が失われるから漢字表現を加えたのであろう。実際を見れば「二百二、三十センチか、頭部は天平の乾漆製、体躯は鎌倉の寄木造り」といった乾漆面の享感と立像の日本人にはない体躯の量感をわたしは受け取るのである。「清純で端麗で、しかも婀娜なふぜいに富んでゐる」「あだっぽいうへに、さらに憂ひをふくみ、これがもろもろを悩殺する」と作者は言う。

 s-春を待つ20180212

 幼子は死にゆく母とつゆ知らで釣りこし魚の魚籃(びく)を覗くかす
昭和19年8月。作者の妻女が42歳で永眠。昭和22年になって発表された「これやこの一期のいのち炎立(ほむらだち)せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹」は、歌壇の耳目を強く驚かした。

 s-紅梅③20180304

 重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け
「重吉」は詩人八木重吉。重吉の妻と作者は再婚した。一日、新夫婦は重吉の墓前に冥福を祈った。一首の表現は対象を叙するに素朴で率直であらわに明るく、作者の妻をいたわる誠実な気持ちがほとばしっている。

 s-紅梅②20180304

 「瑞泉寺の春」
 山陰の清水を祝ふ輪飾りは丹の椿咲く枝にかかれり
一首どことなく俳味が感じられ、これも吉野秀雄の特色である。「輪飾り」は季語であるけれども、季語だからといってただちに俳趣を帯びはしない。ただ対象が新年における寺の習俗のひとつであって、叙し方が純客観的で、いわば「花鳥諷詠」的なのである。
 s-春芽20180304
 
 蕾張る老梅の下の玉笹に年あらたなる日は射しにほふ(昭和8年)
印象が濃くて明快で、超俗的でもある。

s-ホトケノザ20180304

 虚子の居を厨より訪へば女中らが栗剥けり翁は栗飯食ふらし(昭和33年かな)
秀雄の文がある。「自分の歌集を持って虚子庵をおとづれたが、普請の最中だつたので、勝手口で翁の桃色のお顔を仰ぎ、数語交はしただけで辞去した。女中さんが二人、栗をむいていた。翁は栗めしを食べて一句作るのだろうかなどと思った」。
歌は文に書かれた事実そのままを写して直接端的。目前にするごとくで、しかも「らし」は作者の心裏を写したので虚子翁を目前にしていないさまである。想像裏に虚子の起居が現れる。作者は勝手口にあり、女中たちはその台所で栗をむき、奥では、となって場面は立体的となる。活写といってよい。
 s-ナズナ20180304

 3月4日、昨日に続き好天。アパートの部屋のシクラメンも伸び伸びしてる。  
 s-シクラメン20180304

 はるや春。皆さま、よい春をお過ごしください。

鞠躬如(きっきゅうじょ)

 「鞠躬如」は身をかがめて恐れ慎むさま。(今年のタイトルは漱石の「草枕」の難解熟語。)

 2/10は晴れ。大雪の続いた北陸地方も晴れとか。風もなく穏やかな天気。近くの里山を散策した。今回の短歌は釋迢空。テキストは「わが愛する歌人」第二集(有斐閣新書・昭和53年12月刊)。解説は岡野弘彦。
 
 たびごゝろもろくなり来ぬ。志摩のはて 安乗(あのり)の崎に、燈の明り見ゆ 

 釋迢空(明治20年2月11日~昭和28年9月3日)。大阪出身。本名折口信夫(しのぶ)。詩、小説、民俗学、国文学などに関する著作が多く『折口信夫全31巻』は芸術院恩賜賞をうけた。その作品は、悲痛に耐える厳しさと、深い人間愛に貫かれている。 
 s-冬枯れ20180210

 わが舟は比良のみなとにこぎ泊てむ沖へな離(さか)りさ夜ふけにけり

 迢空曰く『十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王ヶ崎の尽端に立った時、遥かな波路の果てに、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかった。これをはかない詩人気取りの感傷と卑下する気には、今もってなれない。これはこれ、かつて祖々の胸を煽りたてた懐郷心の、間歇遺伝として、現れたものではなかろうか。』
 s-冬枯れ②20180210

 もの言ひてさびしさ残れり。 大野らに、行きあひし人 遥けくなりたり

 大正8年、迢空33歳の作。このころから民俗探訪のための研究旅行が多くなった。鹿児島・宮崎・熊本県があい接するあたりの山村を、ひとりで長い旅をした時の体験から生まれたものである。迢空曰く『毎日、宿を出れば、日が暮れて次の宿に泊まるまで、ほとんどものを言う必要がなかった。しまいには、話しかけられて答えた後が、何だか不満な気持ちのすることが多かった。それほどこの時の旅行は若い心に沁みた。』
 s-冬枯れ③20180210

 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。 旅寝かさなるほどの かそけさ 

 大正9年の夏、美濃・信濃・三河・遠江を巡った。曰く『数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立ってゐるのは、あはれである。又殆(またほとんど)、峠毎に、旅死(じ)にの墓がある。中には、業病の姿を家から隠して、死ぬまでの旅に出た人のなどもある。』
 s-冬枯れ④20180210

 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。 この山道を行きし人あり

 迢空の旅情はもの静かでどこか悲劇的な内容を感じさせるが、それは孤絶した物思いではない。旅人の孤独を身をもって知っているからそ、同じようにこの道を先に歩んでいった人の上に痛切な心を通わせるのである。 
 s-冬枯れ⑤20180210

 おん身らは 誰をころしたと思ふ。 かの尊い 御名においてー。 おそろしい呪文だ。 万歳 ばんざあい 

 関東大震災(大正12年)の翌年の作。短歌ではなく、4行詩。震災直後、迢空自身も流言に惑わされて殺気立った自警団と称する人々に取り囲まれ、身の危険を感ずるような扱いをうけた。
 s-冬枯れ⑧20180210

 みなぎらふ光り まばゆき 昼の海。 疑ひがたし。 人は死にたり 

 昭和2年、四国を旅しているとき、親友古泉千樫の訃報を受ける。「みなぎらふ」は荒々しい南国の海の波がしらが、しぶきをあげて照り輝いて様子である。その反射のまぶしさと心のむなしさに耐えて、友の死の事実をみずからに言い聞かせているような思いである。次の歌もある。

 なき人の 今日は、七日になりぬらむ。 遇ふ人も あふ人も みな 旅びと

 s-冬枯れ⑦20180210

 鬼の子の いでつゝ 遊ぶ 音聞こゆ。 設楽(したら)の山の 白雪の うへに 

 昭和4年、長野県と愛知県の接するあたりの山村の神事を詠んだもの。日本の祭りにおいて、神が出現するのは夜である。夜目にもしろじろと降り積もった雪の山原に、鬼の姿をした山の神があらわれておどるのを、まざまざと幻想している歌だ。
 s-冬枯れ⑨20180210

 頬赤き一兵卒を送り来て、発つまでは見ず。 泣けてならねば

 昭和12年の作。この年の7月、日支事変が起こり、迢空の教え子らの中にも、兵隊として戦地に運ばれる若者が急にふえてきた。頬赤き一兵卒がこれから体験しなければならないであろう、苛烈な生死をかけた戦いを場を思うと、いたましさに耐えられなかったのであろう。
 s-冬枯れ⑩20180210

 兵隊は 若く苦しむ。 草原の草より出でゝ、 「さゝげつゝ」せり

 昭和16年の作。戦いのさなかの中国各地を旅した時のもの。戦跡の草むらから思いがけず立ちあらわれた一人の兵士が、作者を案内している将校に対してぱっと身を引きしめて「捧げ銃」の敬礼をした。ああ、こういう若い純な顔をした無数の兵士たちが、いま異国の戦場に来てその青春を戦いの中で過ごしている。その多くが故国の山河を遥かに思いながら戦いに死んでいったのだ、という思いが作者の心を去来したにちがいない。
 「兵隊は若く苦しむ」というような感受性は、やはりこの作者特有のやわらかくて鋭敏な見とおし方である。
 s-冬枯れ⑪20180210

 ひのもとの大倭(やまと)の民も、孤独にて老い漂零(さすら)へむ時 いたるべし

 生涯独身であった迢空は門弟の藤井春洋を養子としたが、その手続きを進めているころ、春洋の所属する部隊は硫黄島の守備に向かった。そして、硫黄島で戦死。
 これは昭和21年の作。戦い敗れ、孤独の身となって、自分もまた老いさすらうことのくやしさをなげいている。「ひのもとの大倭の民」というのは、今までの日本人がその歴史と現実に誇りを感じてみずから言った言葉である。その誇りも無残に地におち、更に重い苦しみと悔しさが老いの身に襲い掛かってきている。
 戦いが終って新しい時代が理解ある勝利国アメリカによってもたらされたからといって、いち早く暢気な解放感の歌など歌っている人を信頼することはできない。戦いに敗れた悔いを徹底的にみずからの内に問いかけ、繰り返し問いつめることから、次の時代の真実の生き方も見いだされてくるのだ。迢空の戦後の歌には、こういう深い内省を持った悔しさの歌が数多くある。
  s-春近し②20180210
 
 もっとも苦しき たゝかひに 最もくるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫 の墓
 
 昭和24年、迢空は春洋の故郷、能登一の宮の海岸にその墓を建てた。その墓碑銘。
 s-春近し20180210

 今日(2/11)は3連休の中日。曇天なのでカメラをもって歩く気にもなれず、家でゴロゴロ。最近読んだか、読みつつある本。
 s-本20180211
 
 宮本輝「草花たちの静かな誓い」(集英社刊)。以前はこの作者のものは全て読んでいたが、話が重すぎるように感じて、最近はご無沙汰。久し振りに読んでみたら、やっぱり宮本輝はいい。彼は優れたストーリーテラーであり、ミステリーとしても読めるし、アメリカの病的な側面と、市井に生きる人々の持つまともさも教えてくれる。9日の晩酌後、未明の3時まで読み続けてしまった。平日は仕事という方、読むのは週末がお勧め。でないと睡眠不足で出社することになるかも。

 「TOM WAITS」(Paul Maher Jr.編、村田薫・武者小路実昭・雨海弘美 訳、うから刊)。TOM WAITS はアメリカで40年にわたって活躍している音楽家。彼の数々のアルバムのインタビューを編集したもの。帯の惹句には「カズオ・イシグロにインスピレーションを与えた男」、「思索、洞察、ユーモア、反骨、天邪鬼ーーー。天才吟遊詩人トム・ウエイツの言霊を訊け ! 」とある。生けるレジェンドと化している TOM WAITS の生き生きとした表現が山盛り。毎晩、眠りにつく前に一章のみ読んでいる。
 *実は訳者の一人が友人です。

 原田マハ「サロメ」(文藝春秋)。「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」などのヒットを飛ばしている作家。作者は早稲田大学の美術史科卒。ニューヨーク近代美術館に勤務したこともあり、美術ものに強い。「本日は、お日柄もよく」ではスピーチライターが主人公であるが、いい意味での「職人芸」を感じさせてくれる。

 今晩は「文藝春秋」に掲載されている芥川賞2作を読むつもり。明日も休みなので夜更かしし放題。こういう時間が一番好きかな。まして片手にグラスとなると、たまりませんな。 皆さまもお健やかにお過ごし願います。

立春

 今日は立春。このところ雪が降ったりして寒いけど、もう2月、春は近い。パソコンのIMEパッドが動かないので、「草枕」の難解熟語はお休み。短歌もまたまた休み。「しゃくちょうくう」が変換できないので・・・。バージョンアップすると、こんなこともある。トホホ。

 s-待合室①20180203
 鶴沼体育館。右端「先生、片足立ちはできませ~ん。」

 s-待合室②20180203
 鶴沼斎場。左端「お前、どうして私をおいて・・・」、左2番「兄貴、泣くなって」、右端「おいしそうなカモだな」、右2番目「今日は殺生はダメよ!」。
 
 s-待合室③20180203
 鶴沼酒場。右2番目「わ~い、勝った勝った、呑めるのは僕だけだ ! 」
 
 s-日向ぼっこ20180204
 鶴沼競泳場。右3番目「だから、スターターが『よ~い』と言ってから構えるんだと言っているだろ。何回言わせるんだ!!」。

 s-飛翔20180204
 鶴沼競泳場。審判員「ピーッ、私語は慎みなさい」。

 以下は三ツ石森林公園にて。冬と春のはざまの2月ならではの光景。
 s-冬陽⑨20180204

 s-冬陽⑧20180204

 s-冬陽⑦20180204

 s-冬陽⑥20180204

 s-冬陽⑤20180204

 s-冬陽④20180204

 s-冬陽③20180204

 s-冬陽②20180204

 s-冬陽20180204

 s-冬枯れ②20180204

 s-冬枯れ20180204

 s-枝だらけ20180204

 s-根と磐と20180204

 s-芽吹く山20180204

 木々が芽吹き、山が赤みを帯びているように見える。手前の切株に立つのはモズ君。
 
 「春の来ない冬はない、朝の来ない夜はない」と言いますが、立春とはいえ、今年は寒い。皆さま、くれぐれもご自愛願います。

氤氳たる瞑氛(いんうんたるめいふん)

 「氤氳」は天地の気が盛んなさま。「瞑氛」は気配。(今年のタイトルは漱石の「草枕」の難解熟語から。)
 s-カワセミ20180120
 アパートの近くの水辺で。水中から飛び出してきたカワセミ。ピントとシャッタースピードがあっていれば・・・。こういうタイミングで撮れたのは初めて。

 s-カワセミ②20180120
 あっち向いてホイ。カワセミ君の勝ち。

 s-カワセミ③20180120
 あっち向いてホイ。今度はカワセミ君の負け。

 s-カワセミ④20180120
 あっち向いてホイ。今度もカワセミ君の負け。
 
 s-カワセミ⑤20180120
 「負け越してしまった・・・。いっそここから飛び込んでしまおうか・・・。」

 この週末はちょっと忙しく、短歌は休み。明日は関東も大雪かもしれないとのこと。皆さま、お気をつけて !!

栄辱得喪(えいじょくとくそう)


「栄辱得喪」は名誉と恥辱、利益と損失などの世俗的な関心事。(今年のタイトルは漱石の「草枕」の難解熟語から。)

 今回は窪田空穂。テキストは「わが愛する歌人 第二集」(有斐閣新書・昭和53年12月刊)。解説は武川忠一。

 雪ついばみ低くも歌ふ鳥とこそ雪深き野に生れぬる身の

 窪田空穂は明治10年生まれ、昭和42年没。明治37年に東京専門学校(現早大)を卒業後、独歩社、電報新聞社等を経て、大正9年から昭和23年まで早大文学部で教鞭をとる。信州の松本郊外和田村の生まれ。空穂は文学の世界に憧れて、親に無断で家を出て、東京専門学校に入学するが1年で文学の世界に失望して去り、大阪で実業を志した。しかしながら母の危篤の報で帰郷。その後に養子に行かされるが、養家も去るという曲折を経たのち東京専門学校に復学。上掲の歌は空穂の第一歌集「まひる野」から。若い頃の鬱屈が表現されているようだ。
  
 s-めじろ20180113

 雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈りし人にもかくも照りしか
 s-目白②20180113

 寒つばき深紅に咲ける小(ち)さき花冬木の庭の瞳のごとき 
 s-落花20180113

 鉦ならし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか
 s-アオサギ20180113

 御嶽颪(みたけおろし)荒さがうちに亡き父のと息まじりてわれに聞こゆる
 s-枯葉2018113

 蒸れくさる蚕糞(こじり)のにほひ、ものうげの馬の嘶き、村は夜に入る
 s-枯葉②20180113

 濁りたるベースの音よりつと生まれ、澄みて鳴りゆくクラリオネット。
 s-枯葉③20180113

 野に遠き葦の小笛よこの宵を聴きて覚め来む魂もあるべし 
 s-笹②20180113

 黄の蕊(しべ)を真白につゝむ水仙のふとあらはれて闇に消えぬる 
 s-冬陽20180113

 げにわれは我執の国の小さき王胸おびゆるに肩そびやかす
 s-凍結20180113

 月出でぬひと片(ひら)寒きゆふ雲の白く照りては消えなむとする 
 s-老木20180113

 かかる日に生まれし我か空白く青葉けぶりて揺ぐともせぬ
 s-何の木20180113

 以下2首は空穂の妻、林圭子の作。

 ここはしも槿(むくげ)の花の褥(しとね)かもうす紫にむらがり匂ふ
 s-起き上がり小法師20180113
 福島県の民芸品。起き上がり小法師。

 わが夫の形見の梅の花咲きて冴々と白し鉢の老木(おいぎ)に
 s-福島の民芸品20180113
 こちらも。

 本日の日経俳壇のトップはいわき市の坂本玄々さんの「生きていることが生甲斐老の冬」。還太郎も先日65歳を迎えたが、坂本さんの境地にはまだまだ・・・。
 「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」(孝経)と申します。皆さま、くれぐれもご自愛願います。

 

俗累の覊絏(ぞくるいのきせつ)

 「俗累の覊絏」。「俗累」は日常のこと、世間の煩わしいこと。「覊絏」はたづな、転じてつなぎとめること。漱石は「草枕」に曰く、「「俗累の覊絏牢として断ちがたきがゆえに・・・」。つまり、世俗の煩わしいことからはなかなか脱し難いと。 

 さて、今回は前田夕暮(明治16年7月27日~昭和26年4月20日。神奈川県出身)。テキストは「わが愛する歌人 第一集」(有斐閣新書・昭和53年8月刊)。解説は石本隆一。

 自然がずんずん体のなかを通過する---山、山、山
 s-日光連山20180107
 1/7、春日部日帰り。利根川に架かる芽吹大橋(茨城県坂東市と千葉県野田市を結ぶ)付近から、日光連山を望む。
 冒頭の短歌は、夕暮がはじめて旅客機に乗り、丹沢山塊の上空を飛んだ時の印象を詠んだもの。

 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月のなかなか遠くもあるかな
 s-緑の葉20180107
 (以下の写真は全て春日部・内牧公園にて)

 朝風に吹きあふらるる青樫のざわめくみれば既に春なり
 s-蓮20180107
 夕暮はその生涯に、いく度かの断念と再生を繰り返している。その最大のものは創刊して8年、会員700名近くを擁する「詩歌」を何の予告もなく「われとわが家に火を放つ」ように廃刊してしまったことであろう。
 
 
 朝はまだ冷たき山の五月なり朴の丸太のうす青みたる
 s-百舌20180107

 前田夕暮は、大正12年の元旦から1ヶ月ばかりの間に突如600余首を歌いだした。夕暮れは、それまで4年間ほどにわたって、率いる結社を廃し、歌壇とも離れ、逼塞するように山林経営に従っていたのだが、ふたたび堰を切ったように作歌者への意欲が湧出したのである。
 夕暮の歌には、青い色がきわめて多く詠み込まれている。それも緑を仮称する青ではなく、研ぎすまされたような青色が映しだされている。むしろ、光線そのもののもつ蒼白に近い色調かもしれない。夕暮は糖尿病と診断され、病に原因する白内障から、ものがみな青く見える青視症であったという。

 赤く錆びし小ひさき鍵を袂にし妻とあかるき夜の町に行く
 s-冬陽⑫20180107

 うす青くレーンコートを濡らして、芽吹きかけた雑木林を行く、雨上がり !
 s-冬陽⑪20180107

 こゝろよき飢えをそそりて新しき牡蠣ぞにほへる初秋のあさ
 s-冬陽⑩20180107

 五月の青樫の若葉が、ひときはこの村をあかるくする、朝風
 s-冬陽⑨20180107

 空にむかって、一せいに大きく口をあいている岩燕の朱い咽喉をみた
 s-冬陽⑧20180107

 山崩(なぎ)あとの一面あかき日の光雉子(きぎす)尾をひきいでて遊べる
 s-冬陽⑦20180107

 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
 s-冬陽⑥20180107

 路の辺の蕗のをさな葉つみとりて匂ひかぎをり若き日のごと
 s-冬陽④20180107

 麦の穂枝が白く光る季節となり、野はあかるく廻転窓をひらく
 s-冬陽③20180107

 山の秀にのこる日かげをみたりけり妻にもみよとわがいひしかも
 s-冬陽20180107②

 林間のうす青みたる朴の木の幹に歯をあて噛める馬あり
 s-冬陽20180107

 第二次大戦の戦中から戦後にかけて、老いた夕暮は疎開地の秩父山中で石塊だらけの荒土を開墾し、健康を大いに損ねている。そのときでさえ、その生活を決して虚勢ではなく、すなおに受け入れ、実際に楽しんでいる。
 
 老妻の待つらむ家に帰らなむふるさとに似しこの坂道を
 s-切株20180107

 摘みとればはやくろぐろと枯れそめぬ冬磯山の名も知らぬ草 
 s-ススキ20180107

 日の下の夢みる如き眼をあげて青き小いさき蛇われをみる 
 s-光の先に20180107

 山川の早瀬にのぞむ崖上の終の栖(ついのすみか)に夕日さしそふ

 「夕暮」の雅号は、新古今集にある西行の歌からとったとのこと。

 心なき身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮

 土浦市は現在(12:58)8℃。 陽がさしているが、15時以降は降水確率50%、17時以降80%、20時以降100%。 皆さま、お健やかにお過ごし願います。

空花乱墜(くうからんつい)


 「空花乱墜」の意は、現実の姿が明確に見えないこと。また、実体のないものを実体があるものとして見誤ること。(漱石・「草枕」から)

 1/2、妻と春日部の自宅に戻る。留守宅に風を通すこと、年賀状等の郵便物の確認などなど。
 春日部イオンの屋上から望む富士山。
s-富士山20180102

 「匠大塚」店内。撮影OKとのこと。これは500万円のペルシャ絨毯。
s-500万円②20180102

 こちらも高価とは思うが、価格は見なかった。
s-ペルシャ絨毯③20180102

 家具屋さんというより美術館?(1階は)
s-お皿2018012

    s-猫②20180102   s-侍かな20180102

s-猫③20180102

 昨年12月4日に続いて、2日未明もスーパームーン。これは2日の晩に撮影。 
s-満月③20180102
 
 次回からは短歌の紹介を中心とした、いつものバージョンに戻ります。
 皆さま、お健やかにお過ごしください。

澆季溷濁(ぎょうきこんだく)

 今年のタイトルは、漱石の「草枕」に散りばめられている難解四文字熟語。「澆季溷濁」は、思いやりなどの人らしい感情が薄くなり、善悪や正邪の基準がおかしくなって世の中が乱れること。

 明けましておめでとうございます。年末のお酒と今日の雑煮で体が重いので15時過ぎに散歩に。
 カーブミラーに反射した夕日が、路上に光の輪を描いていた。
 s-光の輪②20180101

 こちらは鶴沼にて。ピンクの水玉が入ってる。何これ?
 s-お正月の夕日20180101

今日はこれだけ。今年もよろしくお願いします。

麋角解(さわしかのつのおつる)

「麋角解」は24節気「冬至」の次候(12/26~30)。大鹿も角を落とす頃の意。因みに12/31~1/4は「冬至」の末候「雪下出麦」(ゆきわりてむぎのびる)。

 今回は「日経歌壇・2017年の秀作」から。

 人生は秋から冬へ移り行くされど冬にも良き日和有り(茅ヶ崎・磯田清)
 s-田んぼと筑波山20171229

 切り抜きの書評を挟んだ古本を誰かの思いとともに贖う(横浜・森秀人)
 s-赤い葉2171229

 読み上げる詩と詩の浅い息継ぎに揺れて水平線はかがやく(横浜・橘高なつめ)
 s-青い花20171229

 在るものを無しと答ふる葦にして眠れぬ夜の幾夜あるべし(横浜・大建雄志郎)
 s-色づく葉20171229

 オシャレして電車に乗って映画見て昔のように二人っきりで(多摩・田中章子)
 s-松20171229
 
 ブランコに座って君を待っている天動説が新しい夜(パリ・鈴木静香) 
 s-黄色の花20171229 (1)

 馬鹿だから風邪はひかない老夫婦北風のなか沢庵漬けてゐる(つくば・潮田清)
 s-枯れ枝20171229

 亡くなりし犬の毛一本まぎれ込みメトロノームの僅かにくるう(八王子・坂本ひろ子)
 s-黄色の花20171229

 喘ぎつつ日のふりそそぐ坂を来て鈴ふるごとき冬鳥の声(横浜・石塚令子)
 s-ホトケノザ20171229

 キミさんは帰らせまいと放さない明日には忘れる我のこの手を(横浜・櫻井毬子)
 s-たいさんぼく20171229

 東芝のワープロ机ほどなれど弁舌熱き開発者ゐき(東京・東賢三郎)
 s-赤い実2171229

 おまけに「日経俳壇・2017年の秀作」から。いわきの坂本玄々さんは2句選ばれている。
 
 原発の廃墟もつとも冬ざるる
 選者の黒田杏子氏は「坂本さん。長い年月、私はこの作者の句に対面してきました。状況に対峙される姿勢の確かさと知性。人生観の深さに学んできたのでした。」と評している。
  
 ふくふくと楽しや餅のふくらむは
 選者の茨木和生氏は「火鉢の火で焼く餅が膨らんでくる喜びを坂本さんは楽し気に詠む。」と評している。

 10年以上前から、日経俳壇や朝日俳壇でしばしばお見掛けする。同郷の方ということ、「坂本玄々」という印象的なお名前であることもあって、紙面をひらくと先ず坂本さんのお名前を探してしまう。 以下、ネットで探した坂本さんの作品。

 白桃やうら若き地球を愛す(朝日俳壇・2014年7/21)
 老いるとは考へること桐一葉(朝日俳壇・2015年9/7)
日向ぼこしてゐるところが現住所(「俳句」2017年2月号)
 二度と来ぬ八十八歳花に酌む(朝日俳壇・2017年5/1)
 一行の詩となり雁の渡りけり(朝日俳壇・2017年10/16)

 土浦市の明日の天気予報では、午前9時の気温が2℃、午後は雨とか。皆さま、ご自愛願います。
 よいお年をお迎えください。

 
 
 
 

鱖魚群(さけのうおむらがる)

「鱖魚群」は24節気「大雪」の末候(12/17~21)。成長した鮭が、生まれた川に帰って來る頃の意。

 今回は牧水の2回目。テキストは「わが愛する歌人」第一集(有斐閣新書)。解説は佐々木幸綱。前に一回取り上げたが、取り残しが多すぎる感じがしていた。

 旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に 
 s-庭園20171205
 以下3枚は、還太郎が勤める会社の事務所の庭園(12/5撮影)。毎日、始業前に小一時間ほど植栽の剪定に取り組み、2ヶ月ほどかかった。一通り終わってみると、なかなかの光景。還太郎の健康診断の値も好転。禅寺のように、「凛」とした雰囲気にまで仕上げられたら最高。

 ちんちろり男ばかりの酒の夜をあれちんちろり鳴きいづるかな
 s-庭園②20171205
 大岡信によると、牧水は死の前夜まで、5、6合の酒を飲んでいたという。死の2、3時間前にも、卵黄、重湯、そして日本酒100ccを飲んでいる。まだ暑い9月半ばに亡くなったが、棺の中の遺体は三日後も全く死斑も屍臭もなかったという。主治医の手記には、「斯ル現象は内部ヨリノ『アルコホル』の浸潤ニ因ルモノカ」とあるそうだ。

 時をおき老樹(おいき)の雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ 
 s-庭園③20171205

 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 この一首は明治40年の作であるが、明治30年代終わりから大正初めにかけて、次のようなカラフルな歌が高い評価を受けている。金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(与謝野晶子)、向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(前田夕暮)、どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし(北原白秋)、あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり(斎藤茂吉)。

 山越えて空わたりゆく遠鳴(とおなり)の風ある日なりやまざくらばな
 s-西浦から望む筑波山20171217
 ここからは12/17撮影。

 日向の国むら立つ山のひと山に住む母恋し秋晴の日や
 s-鳥20171217

 ゆく春の月のひかりのさみどりの遠(をち)をさまよふ悲しき声よ
 s-雀20171217

 天つ日にひかりかぎろひこまやかに羽根ふるはせて啼く雲雀見ゆ
 s-ススキ2171217
 
 かたはらの木に頬白鳥の啼けるありこころ恍たり真昼野を見る
 s-冬陽20171217

 月光の青のうしほのなかに浮きいや遠ざかり白鷺の啼く
 s-冬陽②20171217

 啼け、啼け、まだ啼かぬか、むねのうちの藍いろの、盲目(めしひ)のこの鳥
 s-冬陽④20171217 (1)

 眼に見えぬ籠のなかなる鳥の身をあはれとおもへ籠のなかの鳥を

 師走も半ばを過ぎました。皆さま、お忙しいときこそ、「指差呼称で安全確認」ですよ。どうぞ、ご安全に❢

閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)

「閉塞成冬」は24節気「大雪」の初候(12/7~11)。空も雲にふさがれて、いよいよ真冬。

 さて、今回は長塚節(たかし)。明治12年4月13日~大正4年2月8日。茨城県結城の出身。23歳の時に上京、子規を訪ねる。以後、子規に師事。テキストは「わが愛する歌人」第一集(有斐閣新書・昭和53年8月刊)。
 解説の岡井隆は、節を「農」、「病」、「旅」、「小説」の4つのキーワードで評している。『「農」というのは、彼が地主の長男として生まれ、家業を継ぐでなく継がぬではない生活をしながら、結局は他に定職を持つことはなかった。旅行家であり、病人でもあったから転地療養もしたけれども、彼の宇宙は、生涯、生地の国生村を中心に回転した。長塚の小旦那だったのである。そのことは小説「土」に象徴的に集中的にあらわれているといえる。』

 天の戸ゆ立ち来る春は蒼雲に光とよもし浮きただよへり
 s-筑波山20171210
 筑波山遠景。

 あをぎりの幹の青きに涙なすしづくながれて春さめぞふる
 s-初冬⑦20171210

 馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
 s-初冬⑥20171210

 おぼほしく水泡(みなわ)吹きよする秋風に岸の真菰に浪越えむとす
 s-初冬⑤20171210

 ガラス戸の中にうち伏す君のため草萌え出づる春を喜ぶ
 s-初冬④20171210

 こころよき刺身の皿の紫蘇の実に秋は俄かに冷えいでにけり
 s-初冬③20171210

 薦(こも)かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒き此夜は
 s-初冬②20171210

 小夜ふけて窃(ひそか)に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ
 s-ススキ20171210

 利根川は北風(かたま)いなさの吹き替へにむれてくだる帆つぎてのぼる帆
 s-初冬20171210
 北風、いなさ(東南の風)の変化に合わせて、船が上り下りしている様を詠んでいる。

 春の雲かたよりゆきし昼つかたとほき真菰に雁しづまりぬ
 s-赤い葉②20171210

 単衣(ひとえ)きてこころほがらになりにけり夏は必ず我れ死なざらむ
 s-赤い葉20171210

 冬の日はつれなく入りぬさかさまに空の底ひに落ちつつかあらむ
 s-赤い実20171210

 ほこりかも吹きげたると見るまでに沖辺は闇(くら)し磯は白波
 s-ツバキ20171210

 とこしへに慰(なぐさ)もる人もあらなくに枕に潮のおらぶ夜は憂し

 長塚節は明治43年に漱石の推薦を受けて、小説「土」を東京朝日新聞に連載。貧農の勘次一家を中心に小作農の貧しさと、それに由来する貪欲、狡猾、利己心など、またかれらをとりかこむ自然の風物、年中行事などを驚くべきリアルな筆致で克明に描いた農民文学の記念碑的名作。漱石をして「余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだの言い募る時分になったら、余は是非この『土』を読ましたいと思っている」と言わしめた。

 師走も中旬。還太郎の忘年会の予定は、あと4回。いずれも親しい方々との寛げる飲み会。他にも突然の飲み会が発生するのが師走。 皆さま、御身御大切に願います。


橘始黄(たちばなはじめてきばむ)


「橘始黄」は24節気「小雪」の末候(12/2~6)。橘の葉が黄色くなる頃。これから柑橘類の季節。即ち、寒さの到来。

 今週は都内に2回、いわきに2回出張。いわきへは常磐道で。紅葉がきれい。ついよそ見運転しそうになり、自制することしきり。

 さて、今回の短歌は半田良平(明治20年9月10日~昭和20年5月19日)。栃木県出身、東大英文科卒。窪田空穂に師事。良平は昭和18年1月に肋膜炎にかかり、まもなく腹膜炎も併発。良平には三人の男の子があったが、長男、次男はすでに病没。昭和19年7月、サイパン島にて良平の三男信三が戦死。病を抱えつつ自宅と防空壕を往復する日々の中で三男の戦死を知らされた。テキストは前回と同じ。

 独(ひとり)して堪へてはおれどつはものの親は悲しとはいはざらめやも
 生きてあらば彩帆(サイパン)島にこの月を眺めてかゐむ戦のひまに
 s-湯の岳20171126
 これは11/26、いわきでの久しぶりのゴルフの際に撮影。ポカポカ陽気だった。右手の山は湯の岳かな。

 若きらが親に先立ち去(い)ぬる世を幾世し積まば国は栄えむ
 s-ツバキ20171202

 一夜寝ば明日は明日とて新しき日の照るらむを何か嘆かむ(昭和20年3月)
 s-花20171202

 蔑めるナチス・ドイツと防共協定をなさねばならぬ時いたれりや(昭和12年)
 s-花②20171202

 たはやすく戦をいふ人この人は死を他人事と思へるらしき(昭和7年)
 s-ススキ20171202

 ただ一首の歌にその名とどめたるわが下野(しもつけ)の今奉部与會布(いままつりべよそふ)
 今奉部与會布は万葉集20に登載されている防人(さきもり)で、「今日よりは顧(かえりみ)なくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」の作者。この歌、太平洋戦争中に情報局や軍がたいへん持ち上げたが、そういう時局に利用されたことと歌の本質は別だと、良平は言いたかったのか。
 s-冬景色20171202

 祖父(おおちち)のことは知れども年を経て名もつたはらずそのみおやたち
 師の窪田空穂の良平評。『飯を食ふ方には好い加減棒を強く引いて、自分のやらうとすることに殉じようとする心持、これは半田君が心底思ってをつたことで、・・・いずれも生易しいことではないと思ひます。半田君は思ひ遣りの深い男で、人のために労苦を惜しまぬといふことは、数へたらどっさりありませう。兎に角或る意見を持ち、自分を押へて一貫してきた男であります。』
 s-冬景色②20171202

 つはものの数は知らねど相つぎて声を絶えたる洋中の島   
 s-冬景色③20171202

 人は縦(よ)しいかにいふとも世間(よのなか)は吾には空し子らに後(おく)れて
 s-冬景色④20171202

 日のなかば壕にこもりてゐる吾をいかにと訪ひてくる人もなし
 s-冬景色⑤20171202

 雲雀の子あそぶを見つつ木のかげにひそかには立つ歩哨われは
 s-冬景色⑥20171202

 みずからの都合よきとき神ながらの国柄を説く人々を唾棄す
 s-公孫樹20171202

 言挙げは吾はせねどもうら深く国を憂ふる者の一人ぞ 
 s-栗の木20171202

 わが日々は夢と現の間行きていづれに即くといふにもあらず
 s-栗の木②20171202

 妻をおきて千葉の葛野ゆいでて来し予備兵の顔見とも飽かめやも
 s-赤い実20171202

 もうすぐ21時、月が煌々と光っている。明後日12/4の満月は今年最大の大きさになるとネットで知った。4日の晩、晴れればいいね。皆さま、風邪は早めのお手当ですぞ。

 

金盞香(きんせんかさく)


 「金盞香」は24節気「立冬」の末候(11/17~21)。水仙が咲いて、あたりに芳香が漂う頃の意。すっかり空が高くなって、空気が引き締まってきた。

 今日(11/19)は好天。洗濯・掃除を済ませて、石岡市にある茨城県フラワーパークへ。冬薔薇が陽射しを浴びていた。
 今回は、岡本かの子。明治22年3月1日~昭和14年2月18日。夫は画家の岡本一平。岡本太郎は息子。「わが愛する歌人 第一集」(有斐閣新書、昭和53年刊)から。同書は第四集まであるが、アマゾンでそれぞれ1円~5円で購入。本の状態は全く問題なし。

 伏しおがむ姿なりしよおのづから気づけるときのわれの姿は 
s-バラ20171119

 行き暮れて灯影へ急ぐ旅人のかなしく静けき心となりたや
 s-バラ②20171119

 世の限り厨にありて水瓶のかげの蝉(いとど)の声に泣かまし
 s-バラ③20171119

 かの子よ汝が枇杷の実のごと明るき瞳このごろやせて何かなげける
 s-バラ④20171119

 十万世界に月照れれども草むらはおぐらくして虫啼けりけり
 s-バラ⑤20171119

 桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)かけてわが眺めたり
 s-バラ⑥20171119

 夜となりぬわれまたおもふ武蔵野の木の間の家に燈ともす母
 s-バラ⑦20171119

 このわれや寂しかれども天地の笑みかたまくる春はうれしき
 s-バラ⑧20171119

 わが生くるこのうつくし世を吹く風にけふも一日(いちじつ)ふかれつつ居る
 s-バラ⑨20171119

 うつし世を夢幻とおもへども百合あかあかと咲きにけるかも
 s-バラ⑩20171119

 うつらうつらわが夢むらく遠方(おちかた)の水晶山に散るさくらばな
 s-紅葉20171119

  まさびしき畑のさまかな帚木はははきとなりて刈り去られけり
 s-紅葉②2017119

 よべよりの心のなやみに沁むものか今朝降りしきる雪のしらたへ
 s-紅葉③20171119

 おろかなるわれとおもふに夜の燈のひとつさへ持つありがたきかも
 s-紅葉④20171119

 岡本かな子は、50歳まであと10日という時に没。死因は3度目の脳溢血。自分のことを「私は三つの瘤を持つ駱駝だ。一つは短歌、一つは仏教、一つは小説」と言っていた。仏号を「雪華」という大乗哲学者としても知られ、没年に発表した小説「老妓抄」は文壇を挙げての絶賛を受けている。
 一方で、岡本一平の居る自宅で自分の年若い愛人とも同居し、さらにかの子の妹も同居し、かの子は神経を痛めて精神病院に入院するなど、地獄のような苦難もなめた凄まじき人生。

 今日は11月下旬とはいえ、温かい陽射しの中を散策でき、いい一日でした。残念なのは、俄か茨城県人として応援している高安も稀勢里も敗れたこと。ガンバレ~!! 皆さま、お健やかにお過ごし願います。

 


 
 
 

地始凍(ちはじめてこおる)

 「地始凍」は24節気「立冬」の次候(11/12~16)。大地が初めて凍てつき、冬の訪れを実感させる頃の意。

 昨日(11/11)は福島市、今日はいわき市で、16時頃土浦市のアパートに帰る。本日の写真はいわきの農家の庭先の花など。花々はきれいに咲いているが、冬の訪れを控え、いずれも静かな佇まい。  
 
 今日は北原白秋。

 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
 s-キク20171112

 下り尽す一夜の霜やこの暁をほろんちよちよちよと澄む鳥のこゑ
 s-キク②20171112

 寂しさに海を覗けばあはれあはれ章魚逃げてゆく真昼の光
 s-キク③20171112

 驟雨の後日の照り来る草野原におびただしく笑ふ光を感ず
 s-キク⑤20171112

 どぐだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし
 s-サザンカ③20171112

 ニコライ堂この夜揺りかへる鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり
 s-サザンカ②20171112

 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕
 s-ユズ20171112
 
 不尽の山れいろうとしてひさかたの天の一方に立てりけるかも
 s-バラ②20171112

 物の葉やあそぶ蜆蝶はすずしくてみなあはれなり風に逸れゆく
 s-バラ20171112

 闇の夜に猫のうぶごゑ聴くものは金環ほそきついたちの月
 s-枯葉20171112

 行く水の目にとどまらぬ青水沫鶺鴒の尾は触れにたりけり
 s-紫の実20171112
 
 まなかひに落ち来る濤の後濤の立ちきほひたる峯のゆゆしさ
 s-秋の日20171114

 今回の短歌は「わが愛する歌人・第一集」(有斐閣新書・1978年8月刊)から。

 カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」を読んだ。感想を一言でいえば『胸塞(ふた)ぐ思い』。途中で何度も投げ出したくなった。英国文学協会賞受賞作。

 皆さま、お健やかにお過ごし願います。

プロフィール

kantarou+5

Author:kantarou+5
週末の近郊里山徘徊を楽しみつつ、足腰の衰えを防止しています。読書やドライブも好きです。

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