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あれは偽りのことばにすぎない、と。

 今回は短歌はお休み。3月上旬、詩人齋藤貢(みつぐ)さんが、『夕焼け売り』(思潮社・2018年10月1日刊)で「現代詩人賞」を受賞。齋藤さんは1954年、福島県生まれ。友人に薦められて拝読したが、心を打たれた。東日本大震災、ことに原発事故による被災がどういうことであったのか。常磐道を仙台まで下ると、沿道には「空虚」としか言いようのない光景が広がり、除染された土を入れた黒いフレコンバッグが山積みになっている。「復興は着実に進んでいる」と聞かされるたびに違和感を覚える私は、齋藤さんの詩によって、その違和感の正体を見た。 2編紹介させていただく。

     s-夕焼け売り

「夕焼け売り」

 この町では
 もう、夕焼けを
 眺めるひとは、いなくなってしまった。
 ひとが住めなくなって
 既に、五年余り。
 あの日。
 突然の恐怖に襲われて
 いのちの重さが、天秤にかけられた。

 ひとは首をかしげている。
 ここには
 見えない恐怖が、いたるところにあって
 それが
 ひとに不幸をもたらすのだ、と。
 ひとがひとの暮らしを奪う。
 誰が信じるというのか、そんなばかげた話を。

 だが、それからしばらくして
 この町には
 夕方になると、夕焼け売りが
 奪われてしまった時間を行商して歩いている。
 誰も住んでいない家々の軒先に立ち
 「夕焼けは、いらんかねぇ」
 「幾つ、欲しいかねぇ」

 夕焼け売りの声がすると
 誰もいないこの町の
 瓦屋根の煙突からは
 薪を燃やす、夕餉の煙も漂ってくる。

 恐怖に身を委ねて
 これから、ひとは
 どれほど夕焼けを胸にしまい込むのだろうか。

 夕焼け売りの声を聞きながら
 ひとは、あの日の悲しみを食卓に並べ始める。
 あの日、皆で囲むはずだった
 賑やかな夕餉を、これから迎えるために。

     s-明け方20190225


「辱められている」

 ああ必ず帰らねばならぬと、みずからに言い聞かせながら     
 あああああああああ あああ火に燃える街を迂回して     
 ああああああああああ あああああ苦しみの土地を抜けた。    

 ああああああああああああなにが大地を激しく揺らすのか。    

 ああ あああああああああああああああああ揺れの果てに     
 あああああああああああ震えているものが、海を溢れさせ     
 ああ ああああああ真夜中、高い火柱があかく空を染めた。  

 あ ああああああああああああ小雪混じりの冬空を覆って
 ああ ああああああああああああああああ震えているのは 
 ああああああああああああああああこころばかりではない。
 あああ ああああああああああああああこの世の果てまで 
 あああああああああああああ地上のすべてが震えている。
 ああああああああああ茂みに隠れて、鳥は空を飛ばない。
 あ あああ地に身を沈めて、獣はじっと息をひそめている。

      s-蕗の薹20190316

 あ あああああああああああああああどこか遠いところから 
 あ ああああああああゆがんだ大地の悲鳴が近づいてきて 
 あ あああああああああああああああああ地軸が小刻みに 
 あ あああああああああこころとからだを震わせてやまない。
 あ ああああああああああああああ息を震わせてやまない。

 あ ああああああああああああ襲ってくるただならぬ気配に 
 あ あああああああああああここにいてはならぬと促されて 
 ああ あああああひとは、いくつもの町や村を駆けぬけた。
 ああああ あああああ あああこの世で何が起きているのか 
 ああああああああああああああそれすらもわからないまま 
 あああああ ああああああああああああああ北を目指して 
 ああああああ ああああひとは、いくつもの山と川を越えた。
 ああ ああ なんども問いを反芻し、自問をくりかえしながら。

     s-モクレン20190316

 いったい誰に。
 そして、何のために。
 わたしたちはかくも試されねばならぬのか、と。

 あ あああああああああああああああああああああかつて 
 ああ あああああああああああこの地に撒かれた火の種は 
 あああああ破壊されることのない頑丈な容器に納められて 
 あああああああああああああ人の暮らしの安寧を約束した。
 ああああああああああああああああ未来永劫、永遠に、と。

 ああああああ約束はわずかな地の塩と米をもたらすだろう。

 あ ああ幾重にも防御された容器と方形の建屋のまわりで 
 あああああ あああああひとはうぶすなに祈り、土地を耕す。
 夕焼け小焼けの集落に日は沈み、地に撒かれた火の種は 
 あああああああああああふたたび朝のひかりを運んでくる。

 あああああああああああああああささやかな願いを託して 
 ああああ ああああひとは草のように地べたに生きるだろう。
 あ ああああああああああああああ日々の暮らしの傍らで 
 ああああああ歳月はつつましい約束のように訪れるだろう。
 
 あっ、山河が小刻みに震えて。
 あっ、安寧が突如破られて。
 あっ、あっ。
 あの日。
 
      s-ボケ②20190316

 あ ああああああああああああああああああああ火の種が 
 ああ ああああああああああ頑丈な容器から溶け落ちて 
 ああああ あああああああああああああ地にばらまかれた 
 あああああああああああ見えない恐怖の、むすうのかけら 
 ああああああああああああああ危うさが約束の地を揺らす。
 あああああ ああああああああ震えて縮みあがった土地に 
あああああああああああ ああああ唐突にもたらされたのは 
 ああああああ ああああああああああああ得体の知れない 
 ああああああ あああああああああああああああ地の恥辱 
 あああああああ ああああああああああああああ海の恥辱 
 あああああああ ああああああああああああああ空の恥辱 

 わかっていたはずなのに
 永遠などどこにもない、と。
 気づいていたはずなのに
 あれは偽りのことばにすぎない、と。

 あああああああああああああああああああ見捨てられて 
 あああああああああああああああああ不安に膝を抱えて 
 ああああああああああああああああああ恐怖におびえて 
 ああ ああああどれほどひとは眠れぬ夜を過ごしただろうか。
 あああああああああああああ火柱につつまれた祭壇には 
 あああああああああああむすうのいけにえが差し出されて 
 あああ あああああ海辺にはうずくまったまま息絶えたひと 
 あああああああああああああああああってはならぬことが 
 あああ あああああああああここではいたるところでおきた。

 ああ あああああああああああいのちが置き去りにされて。
 あああああああああああああああひとの暮らしが奪われて。
 あああ ああああああああこころをいくたびも引き裂かれて。

 なぜだろう。
 ここでは
 ひとであることが、辱められていて。

 いまもなお
 あたりまえに、ひとであることが辱められていて。

      s-スイセン20190316

 文芸評論家の粟津則雄氏は、齋藤さんのこの詩集に下記のことばを寄せている。

 齋藤貢さんのことばには、読む者の感情をことさらにかき立てるようなところはまったくない。彼は不思議な虚心をもって人や物や出来事をあるがままに迎え入れる。その凝視の底からある沈黙のしみとおったことばが身を起こすのである。

 今回はここまで。皆さま、お健やかにお過ごし願います。

悪魔のような声と身ぶりで

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 今年、友人が翻訳した本が2冊、出版された。1冊目は『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』 ポール・マー・ジュニア編(うから 2018・1・20)。もう1冊は『マリーンワン』 ジェームス・W・ヒューストン(小学館文庫 2018・3・11)。

 『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』は3月11日の朝日新聞の書評欄で取り上げられた。評者は音楽家の細野晴臣氏(1978年、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラを結成、1983年解散)。
 
               s-トムウェイツ  
 
 以下は、朝日新聞書評。PDF化された書評をいじくったらWordに変換できてしまった。

 悪魔のような声と身ぶりで繊細な歌を紡ぐトム・ウェイツは、とても演劇的なパフォーマーだ。それに惑わされるせいか、取っつきにくいという印象も拭えない。しかし本書を読み進めば、彼の音楽に向き合う真摯な姿勢や、他者に対する誠実さが明らかになる。
 1973年の衝撃的なデビューから2009年までの数多くのメディアによるインタビュー記事からその姿が浮かぶ。その真面目さは僕も初めて知った。彼は一見破滅的に見える音楽家だが、とくに結婚後は崇拝する作家ケルアックのような、荒んだ暮らしを実生活や芸術に組み込むことを良しとしなかったようだ。
 ウェイツはまた、いろいろな表現で語られることが多い。たとえば「ディランよりディランらしい」。こ のニューズウィーク誌の位置づけは、ボブ・ディランがスーパースターでなけれウェイツのように活動していたであろうと思わせる。「土曜の夜の詩人」とは、読書好きの彼がケルアックの列に並ぶ詩人という、もはやポップスの枠には収まり切らない作家性への称賛だろう。今の米国でこんな存在は他にいない、という評価でもある。
 一方、アルバムを多作し、ツアーを休まず続けてきたウェイツにも疲労や自作への「飽き」があったという。そもそもコメディアンの素養があったらしく、舞台での話術が歌を凌駕していったことも興味深い。映画にも出演し、自身でトム・ウェイツを演じてきた様が本書からうかがえる。
 とはいえ、まずはウェイツの音楽を聴いてほしい。印象とは裏腹に緻密なプロデュースがなされていて、音楽を魅力的に仕上げているのだ。そして彼の音楽愛好家という側面、それこそが秀逸な作品を創造する必須要素なのだろう。
 ウェイツは、多様な音楽を聴けば聴くほど音楽に敏感になる、と語る。作詞や作曲は技術だ。職人としてそれを麿くことが肝要ということだろう。共感する。


                s-マリーンワン

 作者のジェームス・W・ヒューストンは大学卒業後海軍に入り、精鋭中の精鋭のトップガンにまで昇進して除隊。その後、バージニア大学のロースクールに進み、弁護士の資格を取得。一時海軍に戻るが、カリフォルニア州のサンディエゴで弁護士活動を開始する。主に製造物責任法の訴訟に関わり、この分野で米国の最優秀弁護士10人のひとりに選ばれている。
 90年代後半から弁護士業の傍ら小説を書き始め、毎年1冊のペースで長編を発表していたが、2016年骨髄腫で死亡。(訳者あとがきから抜粋)


 海軍と弁護士活動の経験を活かした、リアリティに富みかつスピーディな話の展開に、読者は翻弄されること必至。寝不足になること請け合い。こちらも670頁の長編。還太郎は一時トム・クランシーの「ジャック・ライアン」シリーズやパトリシア・コーンウェルの「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズを耽読したが、ジェームス・W・ヒューストンの作品が続いて出版されることを切望する次第。

 今回はこれまで。天候不順の折、皆さま、ご自愛願います。

クリスマスの満月

 クリスマスの晩の満月は38年振りとのこと。次は18年後とか。コンデジは少ない光量でも明るく撮れるので、ちょっと試してみた。現物の空はもっと青みが強かった。22時20分頃。
 s-満月のクリスマス20151225
 
 還太郎は明日から9連休。皆さま、良いお年をお迎えください。

雨の日は家でウダウダ

 11/8、一日雨。 昨日は六本木のリッツカールトンホテルで結婚式にお呼ばれ。12時開宴、15時半お開き。日本酒もワインも堪能、堪能、また堪能。出し物はM大学応援指導部の演舞?、30分強。
 そんなことがあり、本日は雨につき、家でおとなしくしていた。

 11/4、18時ころ、日本橋浜町の某ビル18階から大手町、日本橋方面を望む。窓ガラス越しの写真。一度屋上から写真を撮らせてくれるよう交渉中。
 s-社窓から②20151104

 こちらは同じ18階から反対側を望む。左側の大きなビルは明治座ビル。右手は言わずもがなのスカイツリー。 
 s-社窓から20151104

 今回はこれだけ。皆さま、お健やかにお過ごしください。

4/26、春日部「藤まつり」

好天の4/26、春日部は「藤まつり」。

 今回は藤の写真を何枚かUP。駅の西口の「藤通り」は満開の藤並木。人出も多かった。
 s-藤祭り20150426⑤

 s-藤祭り20150426⑥

 s-藤祭り20150426④

 s-藤祭り20150426③

 s-藤祭り20150426②
 
 s-藤祭り20150426

 これから出張に出かけるので、これでお仕舞い。皆さま、お健やかにお過ごしください。
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kantarou + 6

Author:kantarou + 6
畑や庭での作業を楽しんで、晩酌・早寝・早起きの毎日です。読書やドライブも好きです。

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