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麋角解(さわしかのつのおつる)

「麋角解」は24節気「冬至」の次候(12/26~30)。大鹿も角を落とす頃の意。因みに12/31~1/4は「冬至」の末候「雪下出麦」(ゆきわりてむぎのびる)。

 今回は「日経歌壇・2017年の秀作」から。

 人生は秋から冬へ移り行くされど冬にも良き日和有り(茅ヶ崎・磯田清)
 s-田んぼと筑波山20171229

 切り抜きの書評を挟んだ古本を誰かの思いとともに贖う(横浜・森秀人)
 s-赤い葉2171229

 読み上げる詩と詩の浅い息継ぎに揺れて水平線はかがやく(横浜・橘高なつめ)
 s-青い花20171229

 在るものを無しと答ふる葦にして眠れぬ夜の幾夜あるべし(横浜・大建雄志郎)
 s-色づく葉20171229

 オシャレして電車に乗って映画見て昔のように二人っきりで(多摩・田中章子)
 s-松20171229
 
 ブランコに座って君を待っている天動説が新しい夜(パリ・鈴木静香) 
 s-黄色の花20171229 (1)

 馬鹿だから風邪はひかない老夫婦北風のなか沢庵漬けてゐる(つくば・潮田清)
 s-枯れ枝20171229

 亡くなりし犬の毛一本まぎれ込みメトロノームの僅かにくるう(八王子・坂本ひろ子)
 s-黄色の花20171229

 喘ぎつつ日のふりそそぐ坂を来て鈴ふるごとき冬鳥の声(横浜・石塚令子)
 s-ホトケノザ20171229

 キミさんは帰らせまいと放さない明日には忘れる我のこの手を(横浜・櫻井毬子)
 s-たいさんぼく20171229

 東芝のワープロ机ほどなれど弁舌熱き開発者ゐき(東京・東賢三郎)
 s-赤い実2171229

 おまけに「日経俳壇・2017年の秀作」から。いわきの坂本玄々さんは2句選ばれている。
 
 原発の廃墟もつとも冬ざるる
 選者の黒田杏子氏は「坂本さん。長い年月、私はこの作者の句に対面してきました。状況に対峙される姿勢の確かさと知性。人生観の深さに学んできたのでした。」と評している。
  
 ふくふくと楽しや餅のふくらむは
 選者の茨木和生氏は「火鉢の火で焼く餅が膨らんでくる喜びを坂本さんは楽し気に詠む。」と評している。

 10年以上前から、日経俳壇や朝日俳壇でしばしばお見掛けする。同郷の方ということ、「坂本玄々」という印象的なお名前であることもあって、紙面をひらくと先ず坂本さんのお名前を探してしまう。 以下、ネットで探した坂本さんの作品。

 白桃やうら若き地球を愛す(朝日俳壇・2014年7/21)
 老いるとは考へること桐一葉(朝日俳壇・2015年9/7)
日向ぼこしてゐるところが現住所(「俳句」2017年2月号)
 二度と来ぬ八十八歳花に酌む(朝日俳壇・2017年5/1)
 一行の詩となり雁の渡りけり(朝日俳壇・2017年10/16)

 土浦市の明日の天気予報では、午前9時の気温が2℃、午後は雨とか。皆さま、ご自愛願います。
 よいお年をお迎えください。

 
 
 
 

鱖魚群(さけのうおむらがる)

「鱖魚群」は24節気「大雪」の末候(12/17~21)。成長した鮭が、生まれた川に帰って來る頃の意。

 今回は牧水の2回目。テキストは「わが愛する歌人」第一集(有斐閣新書)。解説は佐々木幸綱。前に一回取り上げたが、取り残しが多すぎる感じがしていた。

 旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に 
 s-庭園20171205
 以下3枚は、還太郎が勤める会社の事務所の庭園(12/5撮影)。毎日、始業前に小一時間ほど植栽の剪定に取り組み、2ヶ月ほどかかった。一通り終わってみると、なかなかの光景。還太郎の健康診断の値も好転。禅寺のように、「凛」とした雰囲気にまで仕上げられたら最高。

 ちんちろり男ばかりの酒の夜をあれちんちろり鳴きいづるかな
 s-庭園②20171205
 大岡信によると、牧水は死の前夜まで、5、6合の酒を飲んでいたという。死の2、3時間前にも、卵黄、重湯、そして日本酒100ccを飲んでいる。まだ暑い9月半ばに亡くなったが、棺の中の遺体は三日後も全く死斑も屍臭もなかったという。主治医の手記には、「斯ル現象は内部ヨリノ『アルコホル』の浸潤ニ因ルモノカ」とあるそうだ。

 時をおき老樹(おいき)の雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ 
 s-庭園③20171205

 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 この一首は明治40年の作であるが、明治30年代終わりから大正初めにかけて、次のようなカラフルな歌が高い評価を受けている。金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(与謝野晶子)、向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(前田夕暮)、どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし(北原白秋)、あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり(斎藤茂吉)。

 山越えて空わたりゆく遠鳴(とおなり)の風ある日なりやまざくらばな
 s-西浦から望む筑波山20171217
 ここからは12/17撮影。

 日向の国むら立つ山のひと山に住む母恋し秋晴の日や
 s-鳥20171217

 ゆく春の月のひかりのさみどりの遠(をち)をさまよふ悲しき声よ
 s-雀20171217

 天つ日にひかりかぎろひこまやかに羽根ふるはせて啼く雲雀見ゆ
 s-ススキ2171217
 
 かたはらの木に頬白鳥の啼けるありこころ恍たり真昼野を見る
 s-冬陽20171217

 月光の青のうしほのなかに浮きいや遠ざかり白鷺の啼く
 s-冬陽②20171217

 啼け、啼け、まだ啼かぬか、むねのうちの藍いろの、盲目(めしひ)のこの鳥
 s-冬陽④20171217 (1)

 眼に見えぬ籠のなかなる鳥の身をあはれとおもへ籠のなかの鳥を

 師走も半ばを過ぎました。皆さま、お忙しいときこそ、「指差呼称で安全確認」ですよ。どうぞ、ご安全に❢

閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)

「閉塞成冬」は24節気「大雪」の初候(12/7~11)。空も雲にふさがれて、いよいよ真冬。

 さて、今回は長塚節(たかし)。明治12年4月13日~大正4年2月8日。茨城県結城の出身。23歳の時に上京、子規を訪ねる。以後、子規に師事。テキストは「わが愛する歌人」第一集(有斐閣新書・昭和53年8月刊)。
 解説の岡井隆は、節を「農」、「病」、「旅」、「小説」の4つのキーワードで評している。『「農」というのは、彼が地主の長男として生まれ、家業を継ぐでなく継がぬではない生活をしながら、結局は他に定職を持つことはなかった。旅行家であり、病人でもあったから転地療養もしたけれども、彼の宇宙は、生涯、生地の国生村を中心に回転した。長塚の小旦那だったのである。そのことは小説「土」に象徴的に集中的にあらわれているといえる。』

 天の戸ゆ立ち来る春は蒼雲に光とよもし浮きただよへり
 s-筑波山20171210
 筑波山遠景。

 あをぎりの幹の青きに涙なすしづくながれて春さめぞふる
 s-初冬⑦20171210

 馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
 s-初冬⑥20171210

 おぼほしく水泡(みなわ)吹きよする秋風に岸の真菰に浪越えむとす
 s-初冬⑤20171210

 ガラス戸の中にうち伏す君のため草萌え出づる春を喜ぶ
 s-初冬④20171210

 こころよき刺身の皿の紫蘇の実に秋は俄かに冷えいでにけり
 s-初冬③20171210

 薦(こも)かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒き此夜は
 s-初冬②20171210

 小夜ふけて窃(ひそか)に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ
 s-ススキ20171210

 利根川は北風(かたま)いなさの吹き替へにむれてくだる帆つぎてのぼる帆
 s-初冬20171210
 北風、いなさ(東南の風)の変化に合わせて、船が上り下りしている様を詠んでいる。

 春の雲かたよりゆきし昼つかたとほき真菰に雁しづまりぬ
 s-赤い葉②20171210

 単衣(ひとえ)きてこころほがらになりにけり夏は必ず我れ死なざらむ
 s-赤い葉20171210

 冬の日はつれなく入りぬさかさまに空の底ひに落ちつつかあらむ
 s-赤い実20171210

 ほこりかも吹きげたると見るまでに沖辺は闇(くら)し磯は白波
 s-ツバキ20171210

 とこしへに慰(なぐさ)もる人もあらなくに枕に潮のおらぶ夜は憂し

 長塚節は明治43年に漱石の推薦を受けて、小説「土」を東京朝日新聞に連載。貧農の勘次一家を中心に小作農の貧しさと、それに由来する貪欲、狡猾、利己心など、またかれらをとりかこむ自然の風物、年中行事などを驚くべきリアルな筆致で克明に描いた農民文学の記念碑的名作。漱石をして「余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだの言い募る時分になったら、余は是非この『土』を読ましたいと思っている」と言わしめた。

 師走も中旬。還太郎の忘年会の予定は、あと4回。いずれも親しい方々との寛げる飲み会。他にも突然の飲み会が発生するのが師走。 皆さま、御身御大切に願います。


橘始黄(たちばなはじめてきばむ)


「橘始黄」は24節気「小雪」の末候(12/2~6)。橘の葉が黄色くなる頃。これから柑橘類の季節。即ち、寒さの到来。

 今週は都内に2回、いわきに2回出張。いわきへは常磐道で。紅葉がきれい。ついよそ見運転しそうになり、自制することしきり。

 さて、今回の短歌は半田良平(明治20年9月10日~昭和20年5月19日)。栃木県出身、東大英文科卒。窪田空穂に師事。良平は昭和18年1月に肋膜炎にかかり、まもなく腹膜炎も併発。良平には三人の男の子があったが、長男、次男はすでに病没。昭和19年7月、サイパン島にて良平の三男信三が戦死。病を抱えつつ自宅と防空壕を往復する日々の中で三男の戦死を知らされた。テキストは前回と同じ。

 独(ひとり)して堪へてはおれどつはものの親は悲しとはいはざらめやも
 生きてあらば彩帆(サイパン)島にこの月を眺めてかゐむ戦のひまに
 s-湯の岳20171126
 これは11/26、いわきでの久しぶりのゴルフの際に撮影。ポカポカ陽気だった。右手の山は湯の岳かな。

 若きらが親に先立ち去(い)ぬる世を幾世し積まば国は栄えむ
 s-ツバキ20171202

 一夜寝ば明日は明日とて新しき日の照るらむを何か嘆かむ(昭和20年3月)
 s-花20171202

 蔑めるナチス・ドイツと防共協定をなさねばならぬ時いたれりや(昭和12年)
 s-花②20171202

 たはやすく戦をいふ人この人は死を他人事と思へるらしき(昭和7年)
 s-ススキ20171202

 ただ一首の歌にその名とどめたるわが下野(しもつけ)の今奉部与會布(いままつりべよそふ)
 今奉部与會布は万葉集20に登載されている防人(さきもり)で、「今日よりは顧(かえりみ)なくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」の作者。この歌、太平洋戦争中に情報局や軍がたいへん持ち上げたが、そういう時局に利用されたことと歌の本質は別だと、良平は言いたかったのか。
 s-冬景色20171202

 祖父(おおちち)のことは知れども年を経て名もつたはらずそのみおやたち
 師の窪田空穂の良平評。『飯を食ふ方には好い加減棒を強く引いて、自分のやらうとすることに殉じようとする心持、これは半田君が心底思ってをつたことで、・・・いずれも生易しいことではないと思ひます。半田君は思ひ遣りの深い男で、人のために労苦を惜しまぬといふことは、数へたらどっさりありませう。兎に角或る意見を持ち、自分を押へて一貫してきた男であります。』
 s-冬景色②20171202

 つはものの数は知らねど相つぎて声を絶えたる洋中の島   
 s-冬景色③20171202

 人は縦(よ)しいかにいふとも世間(よのなか)は吾には空し子らに後(おく)れて
 s-冬景色④20171202

 日のなかば壕にこもりてゐる吾をいかにと訪ひてくる人もなし
 s-冬景色⑤20171202

 雲雀の子あそぶを見つつ木のかげにひそかには立つ歩哨われは
 s-冬景色⑥20171202

 みずからの都合よきとき神ながらの国柄を説く人々を唾棄す
 s-公孫樹20171202

 言挙げは吾はせねどもうら深く国を憂ふる者の一人ぞ 
 s-栗の木20171202

 わが日々は夢と現の間行きていづれに即くといふにもあらず
 s-栗の木②20171202

 妻をおきて千葉の葛野ゆいでて来し予備兵の顔見とも飽かめやも
 s-赤い実20171202

 もうすぐ21時、月が煌々と光っている。明後日12/4の満月は今年最大の大きさになるとネットで知った。4日の晩、晴れればいいね。皆さま、風邪は早めのお手当ですぞ。

 

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kantarou + 6

Author:kantarou + 6
畑や庭での作業を楽しんで、晩酌・早寝・早起きの毎日です。読書やドライブも好きです。

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