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酒坏に梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし

 酒坏(さかづき)に梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし (万葉集・大友坂上郎女)

 今年のタイトルは万葉集から。「思ふどち」は相思う人々、親しいものどし、心の合った者どうし。

 今回の短歌も『ぼくの短歌ノート』(穂村弘、講談社、2015年6月15日刊)から。不思議な感覚の歌、見たままの歌、笑ってしまう歌などなど。

 マウンドにコーチ・内野手駆け寄れば我も行かねばテレビの向かふに (川西守)

 s-千葉の海201902
 @房総・平砂浦。

 動き初むる汽車の窓よりわれを見し涙とび出さんばかりの眼なりき (筏井嘉一)

 s-照葉樹林①201902
 照葉樹林が2月の陽を浴びて輝く。

 噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ (葛原妙子)

 s-照葉樹林②201902

 渇きたる砂に半ばうづもれて貝殻はみな海の傷持つ (大西民子)

 s-照葉樹林③201902

 名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ (米川千嘉子)

 s-照葉樹林④201902

 たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき (近藤芳美)
 
 s-照葉樹林⑤201902
 マサキ。 (青字の植物名はS先輩から御教示ただいた。)
 
 さりげなくさしだされているレストランのグラスが変に美しい朝 (早坂類)

 s-照葉樹林⑥201902
 ヤマハゼかな?

 湯口より溢れ出でつつ秋の灯に太束(ふとたば)の湯のかがやきておつ (宮柊二)

 s-照葉樹林⑦201902

 約束を残したまま終わっていくような別れがいいな、月光 (杉田菜穂)

 s-照葉樹林⑧201902
 ヌマスギに絡む蔦植物。

 スカートをはいて鰻を食べたいと施設の廊下に夢が貼られる (安西洋子)

 s-照葉樹林⑨201902

 草つぱらに宮殿のごときが出現しそれがなにかといえばトイレ (小池光)

 s-照葉樹林⑩201902
 カクレミノ。 (次も)

 ボールペンの中身のインクが見えるのに書けないいらだちぐるぐるをかく (吉田洋和)

 s-照葉樹林⑪201902

 さくらさくらいつまで待っても来ぬひとと 死んだひととはおなじさ桜 (林あまり)

 さて、今回は長い「おまけ」。偶然に、東日本大震災をテーマにした作品を3冊続けて読んだ。

      s-本201902 
 
 先ずは、前号でも紹介した乙川優三郎の『太陽は気を失う』(文春文庫)。書評家江南亜美子氏は、次のように解説している。

 この作品では、里帰りする初老の女性が登場する。かつて暮らした東北の海沿いの町には、老いて一人暮らしをする母がいる。この帰省の目的は、母親の見舞いに加え、ひと月前に四十六歳で亡くなった、知的障害者でもあった幼馴染の起則くんの墓参りにもあった。

 老母のおつかいに応えてスーパーに出かけようとしたとき、大地震が起きる。余震もつづくなか、津波に備えて自力での歩行も困難な母と少しでも高いところへ逃げようとするが、その行動は捗々しくはいかない。そして避難所へ。交通網も寸断され、不便と不安のつのる慣れない避難所暮らしにあって、逗子にいる彼女の夫との会話が挿入される。

 〈「地震と津波で家はめちゃくちゃよ、母と避難所にいるの、食べるものがないし、もう一度大きな地震が来たらここも危ない、あなたから東京の姉に電話して、車で助けに来るように言って」(中略)「あの人は苦手だ、話したくない」「お願い、そんなことを言っているときじゃないでしょう、母もいるのよ」「金は借りたのか」そのとき地面が揺れて、私の芯のあたりも揺れた〉

 じつは、この里帰りには、借金の申し込みという隠されたもうひとつの目的があったのである。しかもその借金は夫のふがいなさと見栄に起因するものだ。・・・・

 地縁が薄れていても起則くんのことは忘れなかった「私」が、過酷な被災状況にあって、夫の他者性に直面する。親の無力さにもまた。彼女はこの瞬間、時間が堆積して形作られてきた自分自身の「生」を、むなしく感じたことだろう。しかしそれに打ちひしがれただけではなく、夫との決別をも決意する。フィクションの力で、ある登場人物の人生がそこにまざまざと立体的に立ち上がるというのはひとつのマジックのようなものだが、それが可能になったとき、その物語は特定の場所や時代〈この作品なら3.11〉というくびきから解かれる。これがわたしやあなたの物語であってもなんら不思議ではない、という普遍性を獲得するのである。 

 二つ目は佐伯一麦(さえきかずみ)の『空にみずうみ』(中公文庫)
 
 この作品は、2014年6月23日から2015年5月26日まで、読売新聞夕刊に連載したもの。舞台は仙台。作家の小山田浩子氏の解説は次の通り。

 震災は日本中に大きな影響を与えたが、言うまでもなくその心理的な濃淡はさまざまであり、亡くなった人、亡くした人、家を失った人、そこにある土地に足を踏み入れられなくなってしまった人、電気や物資の不足に困った人、ボランティアに行った人行けなかった人行きたくなかった人・・・・・・それら全てに届く言葉などあるはずもない。当事者が発した言葉なら正しいわけでもないし誰かからのいたわりや鼓舞の言葉が暴力になる場合もある。・・・・

 作者はずっと自分の人生や生活と重なる作品を書いてきた。だから、「日常」を書くというのは作者のこれまでの作品と共通する姿勢ではある、が、本作ではそれらよりさらに細やか静かな描写、現実離れして感じられるほどもの柔らかな会話が選択されているように思える。
 それによって、作者の、自分はこうして (どんなことがあったあとであろうとも) 「日常」に淡々と向かい続けるのだ、それを作品にし続けるのだ、というむしろ激しいほどの決意と努力を読者は感じることになる。どんな災厄が起ころうと、それからも人は生きていかなければならない。震災を克服すべきものとして対峙するのではなく、顔を背けるのでもなく、目を向け耳を傾けじっと向き合い続ける。そして作者は、花を見たり木に触れたり水たまりを見つけるたびに、それにまつわる作家や詩人の文章を思い出し読み返す。

 覚悟のもと日常を生きていくとき、自然の移ろいに目を留め文学作品を紐解くのは単なる癒しや慰めにとどまらない。それは大きな事態を前にともすれば狭くなりがちな視野を広げるための、自分自身の心の基盤となる。「日常とは時間を取り戻すことなのかもしれません。」という言葉通り、人間の生活とはまた違ったリズムで繰り返される自然の営みへ研ぎ澄ました五感で向き合うこと、心の中に生きているさまざまな人々の声と融和すること、そしてそれを日々作品として書くこと。作者は日常を、その中に震災も含まれている日常を、受け止め生きようとしている。


            s-本②201902
             
 三作目は安東量子の『海を撃つ』(みすず書房)。以下は、本著の裏表紙の紹介文。

 著者は、植木屋を営む夫と独立開業の地を求めて福島県いわき市の山間部に移り住む。震災と原発事故直後、分断と喪失の中で、現状把握と回復を模索する。

 放射線の勉強会や放射線量の測定を続けるうちに、国際放射線防護委員会 (ICRP) の声明に出会う。著者はこう思う。「自分でも驚くくらいに感情を動かされた。そして、初めて気づいた。これが、私がいちばん欲しがっていた言葉なんだ、と。『我々の思いは、彼らと共にある』という簡潔な文言は、我々はあなたたちの存在を忘れていないと明確に伝えているように思えた。」

 以後、地元の有志と活動を始め、SNSやメディア、国内外の場で発信し、対話集会の運営に参画してきた。「原子力災害後人と土地の回復とは何か」を掴むために。事故に対する関心の退潮は著しい。復興・帰還は進んでいるが、「状況はコントロールされている」という宣言が覆い隠す、避難している人びと、被災地に住まう人びととの葛藤と苦境を、私たちは知らない。

 地震と津波、それに続いた原発事故は巨大であり、全体を語りうる人はどこにもない。代弁もできない。ここにあるのは、いわき市の山間部に暮らすひとりの女性の幻視的なまなざしがとらえた、事故後7年半の福島に走る亀裂と断層の記録である。 

 還太郎は、「農業簿記3級」の講座の受講を昨日から開始。1回3時間を6回。受講料はテキスト代のみ。昨年の受講者が全員合格して資格を取得したと聞いて安心して始めた次第。資格取得のための受験は運転免許以来かな。頭の体操中 ❢

 皆さま、お健やかにお過ごし願います。
 
 

今さらに 雪降らめやも かぎろいの 燃ゆる春へと なりにしものを

 今年のタイトルは『万葉集』から。この歌の意は、「陽炎(かげろう)の燃え立つ春になったのに、なんで今さら雪なんか降るのだろう、もう雪なんてたくさんだよ」(作者不詳)。

 今回の短歌は『ぼくの短歌ノート』(穂村弘、講談社、2015年6月15日刊)から。不思議な感覚の歌、見たままの歌、笑ってしまう歌などなど。

 よくわからないけど二十回くらい使った紙コップをみたことがある (飯田有子)

 s-ウメ20190203
 
 あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す (盛田志保子)

 s-ウメ20190204

 10分後賞味期限が切れる肉冷凍庫に入れて髪乾かす (田中有芽子)

 s-ウメ②20190204

 昼なのになぜ暗いかと電話あり深夜の街をさまよふ母より (栗木京子)

 s-サザンカ20190204

 父のなかの小さき父が一人づつ行方不明になる深い秋 (小島ゆかり)

 s-スイセン20190204

 銀杏を食べて鼻血が出ましたかああ出たねと智恵子さんは言う (野寺夕子)

 s-ボケ20190203

 「オレオレ」とまた電話あるは金持ちの様なわが名の所為なのだろう (大成金吾)

 s-ホトケノザ20190204

 あ、http://www.jitsuzonwo.nejimagete.koiga.kokoni.hishimeku.com (荻原裕幸)

 s-モクレン20190204 (1)

 コマーシャル挿入されてわれは消ゆ生命保険に笑む小家族 (大塚寅彦)

 s-ロウバイ20190203

 月を見つけて月いいよねと君が言う  ぼくはこっちだからじゃあまたね (永井祐)

 s-ロウバイ20190204

 「おぢいちゃんしぬまでながいきしてください」誕生祝いは孫からの文 (鉄本正信)

 s-枯れ花20190204

 どうこうと思うなけれど曾孫は「ばあちゃん、男か女か」と聞く (香城清子)

 s-枯れ花②20190204
 
 お一人様三点限り言われても私は二点でピタリと止めた (田中澄子)
 
 s-枯れ椿20190204

 「扉のむかうに人がゐるかもしれません」深夜のビルの貼紙を読む (清水良郎)
 
 s-枯草20190204

 えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい (笹井宏之)

 「エーエンと口から」鳴き声がしているのかと思ったが、数回読むと「永遠解く力」が繰り返されていると気づく。

 s-枯葉20190204

 白鳥はふっくらと陽にふくらみぬ ありがとういつも見えないあなた (渡辺松男)

 s-白鳥20190204
 近くの蛭田(びんだ)川にて。最近は白鳥も飛来している。

 ねたらだめこんなところでしんじゃだめはやぶさいっしょにちきゅうにかえろう (田中弥生)

 満身創痍で地球に帰還した、小惑星探査機「はやぶさ」への呼びかけの歌。

 s-野鳥と鯉20190204
 同じく蛭田川。鯉と野鳥が共存。水の色も柔らかくなってきた。

 北浦和 南浦和 西浦和 東浦和 武蔵浦和 中浦和と無冠の浦和 (沖ななも)

 s-葉20190204

 誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど (大松達知)

 s-新葉20190204

 いつの日のいづれの群れにも常にゐし一羽の鳩よ あなた、でしたか (光森裕樹)

 s-寒桜③20190207
 寒桜かな。@館山市。

 妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか (大西民子)

 著者の穂村弘は、作者(大西)に近い人から、「ユトレヒト」は虚構、と聞かされショックを受けたとのこと。曰く「かつての夫の再婚が事実の場合、地名だけをそこまで劇的に変えてしまうことはちょっと考えられない。そう考えてしまった私は、現実をドラマ化する大西ワールドの凄みを改めて痛感させられた」。

 s-寒桜②20190207

 雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁 (斉藤斎藤)
 
 s-寒桜20190207

 硝子戸に鍵かけてゐるふとむなし月の夜の硝子に鍵かけること (葛原妙子)

  s-富士山20190208
 東京湾アクアラインの「海ほたる」から富士山を望む。
 
 畳のヘリがみな起ち上がり讃美歌を高らかにうたふ窓きよき日よ (水原紫苑)

 いわきは6日は雨だった。今年初めての雨では? 明日は雪との予報。雨でも雪でも降ってくれないと、畑がカラカラでタマネギの苗が育たない。

 皆さま、温かくしてお過ごし願います。


 以下、おまけを二つ。一つ目は『僕の短歌ノート』で読んだ塚本邦雄の随筆。

 私の家を含む東大阪市一部の電話は三年ばかり前に局番が變わった。(略)新局番は七四五、これと六二六二を組合わせて、舊番號も霞むばかりの名作を捏(でつ)ち上げねばならぬ。長考十分、すなはちでき上つたのは「梨五つ浪人六人國を出る」である。

 頃は元祿、さる大名の姫君が天竺(てんぢく)渡りの梨の木に始めて生つた實を、日頃寵愛の文武容色いづれ劣らぬ六人の若侍に與へようとしたが、生懀その數五つ。ここに端を発して御家騒動が起る。波瀾萬丈、紆余曲折の後六人は祿を棄てて出奔する。

 いとも舊めかしいロマンスで恐縮ながら、「國を出る」とは、「浪人六人=六二六二」までダイヤルし終ると、お呼び下さった私が電話口に出る、すなはち「邦雄出る」が懸けてあるのが味噌。ありの実・浪人・亡命から成る三題噺は、各人の好みでいかやうにも創作しつつ電話いただきたいものだ。
 (「菜葉煮ろ煮ろ」から。)

二つ目。 乙川優三郎 『太陽は気を失う』 (文春文庫 2018.9.10刊)から。

 常磐線が大津港から北へ県境を越えて間もない小さな駅の近くに細い川の流れがあって、土手の道を歩いていくと海であった。途中には百年は持つと言われた実家があり、海辺には発電所と墓地があった。私の帰郷の目的はひとり暮らしの老母を見舞い、一月前に亡くなった知人の墓へ参ることであった。

 短編14話の文庫本の第一話の冒頭が上記の文章。いま私がいる街である。この日の午後、主人公は東日本大震災に遭遇する。私も、その日はいわきに居たので、身につまされつつ読了。乙川優三郎は、オール讀物新人賞、時代小説大賞、山本周五郎賞、直木賞、中山義秀賞、大佛次郎賞、芸術選奨文部科学大臣賞(「太陽は気を失う」で)等々を受賞。
プロフィール

kantarou + 6

Author:kantarou + 6
畑や庭での作業を楽しんで、晩酌・早寝・早起きの毎日です。読書やドライブも好きです。

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