FC2ブログ

宴会好きは伝統か?

①道教、バラモン教、ヒンドゥー教? 

 左から「庚申塔」(こうしんとう)、「二十三夜」、「子待塔」。実家の近くの、いまは殆ど人が通ることもなくなった坂道に並んでいる。

 大高3石

 庚申塔:中国から伝来した道教に由来する「庚申信仰」に基づいて建てられた石塔。「庚申講」(庚申待ち)とは、人間の体内にいる「三尸」(さんし)の虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告に行くのを防ぐために、庚申の日は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をする風習。

 二十三夜:二十三夜様は正式には「二十三夜大月天子」といい、月が神格化されたもので、元来インドのバラモン教の神であったが仏教に取り入れられ、仏教の守護神になった(堀之内妙法寺のHP)。福島県郡山市出身の某氏は、「二十三夜の月待ちは正月、5月、9月に盛んに行われたそうで、この日は個々人の家で、あるいは何処かの家に近隣の人々が集まって酒食や長話などを楽しみながら勢至菩薩の化身である二十三夜の月を拝したそうです」と述べておられる。

 子待塔:子が帰ることを待つものではなく、子どもが授かることを祈願するものでもありません。「ねまちとう」と読むとのこと。「子(ね)の刻」、つまり夜中まで起きていて精進供養をする行事とのこと。礼拝本尊は大黒天、転じて大国主神とも。大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハカーラのことだと言う。

 いずれも『呑む口実』では。しかも深夜まで。「十九夜様」は女性だけの会合でお酒も供されたと前回レポートしたが、男性連もだまって指をくわえているはずがない。昔々の農村というと、悪代官に課せられた年貢に喘いでいるというイメージがあるが、結構楽しいこともあったのではとニンマリしてしまう。
 それにしても、道教やらバラモン教やらヒンドゥー教やら、賑やかなことです。

②続・如意輪観音様 
 「如意輪観音様」→「十九夜講」は前回のブログをご覧願います。

 実家のお墓を再訪。その後、近隣の墓地(4ヶ所)もチェック。結論としては、実家のお墓のある墓地は例外的に多くの如意輪観音様が祀られていることが判明。下の4体は実家のお墓のある墓地で撮影。

如意輪観音①

如意輪観音120907②

如意輪観音③

如意輪観音④

 次はS地区の墓地。ありました。ただ、墓地の入り口に3体のみ。個人のお墓に建てられているものはなし。実家のお寺は天台宗、S地区も以前は天台宗の檀家だったとのことなので、それが共通項か。
酒井原如意輪観音①

お顔に接近すると
酒井原如意輪観音②

石像の背面に「宝暦」(1751~1763)と刻まれている。
酒井原如意輪観音③

③北茨城、浄蓮寺も天台宗

茅葺の本堂。浄蓮寺は慈覚大師が天安2年(858年)に開創したと伝えられている。
浄蓮寺①

お寺の裏手は「浄蓮寺渓谷」
浄蓮寺②

 いまから1000年も前のものと伝えられている三十三観音様が祀られているが、うち数体は如意輪観音様。
浄蓮寺③

浄蓮寺④

 
④天台宗といえば「元三大師」(がんさんだいし、うちの田舎では、がんざんだいし)

 「元三大師」はいわばニックネーム。名前は良源(りょうげん)、諡号は慈恵大師(じえだいし)。天台宗第18代座主。天元4年(981年)には大僧正に補任されているが、大僧正補任は奈良時代の行基以来というスーパースター。元旦の三日に亡くなられたので「元三大師」と呼ばれる。
 元三大師の法力は凄まじく、疫病が流行った時には鬼の姿になって疫病神を追い払ったとのことで、下の写真のような厄除けのお札になっている。(角大師ともいう)

 下の写真はいわき市勿来町の「大高寺」と北茨城市の「浄蓮寺」の厄除けのお札。同じ版木から摺ったものかと思ったが、よく見ると、目つき、右腕、両足の辺りが違う。版木はそれぞれのお寺にあると、お寺の方に伺った。
大高角大師

浄蓮寺角大師②

 元三大師は如意輪観音様の化身とも仰がれたということで、実家のお墓の如意輪観音様と天台宗、元三大師が見事につながり、超スッキリなのであります。

 なお、元三大師については、司馬遼太郎の「街道をゆく」の16巻(朝日文庫)「叡山の諸道」に取り上げられている。
 
 この人は19年という長い期間、座主職にあった。その晩年、大きな鏡の前で禅定(ぜんじょう)に入っているうちに、鏡にうつっている元三大師の姿が、骨ばかりの鬼になった。弟子たちのなかで絵心のある明普阿闍梨(みょうぶあじゃり)という者がすばやく写しとり、あとで元三大師に見せた。
 「これを版木に刻んで刷れ」と元三大師がいったのが古くから疫病よけの護符とされる「角大師」である。「角大師」の形象はまことに奇妙で、東西の魔性の絵画化されたもののなかでも特異なものといえるのではないか。繰りかえすようだが、叡山的合理主義の伝統からみて、元三大師にはカトリックの聖者のように奇蹟が多い。(一部を抜粋)



⑤秋ですね。

山合いの稲田も色づきました。平地では盛んに稲刈りが行われています。 
s-053.jpg

浄蓮寺渓谷のアキアカネ
浄蓮寺渓谷

突然ですが、日本橋浜町には豹もいます。某喫茶店の前の植込みに鎮座まします。
浜町の喫茶店

⑥本日のデザートは中島みゆきの「誕生」。
 
ひとりでも私は、生きられるけど でも誰かとならば、人生は遥かに違う 
強気で強気で、生きてる人ほど 些細な寂しさで、つまずくものよ
呼んでも呼んでも、届かぬ恋でも 空しい恋なんて、ある筈がないと言ってよ
 待っても待っても、戻らぬ恋でも 無駄な月日なんて、ないと言ってよ

 めぐり来る季節を、数えながら めぐり逢う命を、
数えながら 畏れながら、憎みながら、いつか愛を知ってゆく

 泣きながら生まれる子供のように もう一度生きるため、泣いて来たのね
 Remember 生まれた時、誰でも言われた筈 
耳をすまして思い出して、最初に聞いたWelcome

 Remember 生まれたこと、Remember 出逢ったこと
 Remember 一緒に生きてたこと、そして覚えていること


まあ何を聴いてもしみじみしてしまう、夏の終わりのアラ還太郎なのであります。
 今回はここまで。


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

還太郎+7

Author:還太郎+7
畑や庭での作業を楽しんで、晩酌・早寝・早起きの毎日です。読書やドライブも好きです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ