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鴻鴈来(こうがんきたる)

 「鴻鴈来」は24節気「寒露」の初候(10/8~12)。冬鳥が飛来する時季。真鴈に菱喰、水辺に羽を休める姿が見られる頃の意。
 本日の写真は、アパートのお隣さんのお庭(撮影許可取得。トウモロコシ、キュウリ、ニンジン、レタス等々、しょっちゅう頂いている)と「わかぐり運動公園」の周辺で撮った。 
 さて、今回から斎藤茂吉[1882年(明治15年)~1953年(昭和28年)]。生涯に17,800首を詠んだ巨人。教本は「茂吉秀歌」(佐藤佐太郎著・岩波新書・1979年1月10日発行の第3刷・上下2巻、各320円・280円)


 いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童(わらべ)のまなこ小さいし

 1912年作(30歳)。そのころ茂吉は「ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ」という歌も作っている。強烈な唐辛子の赤色という原色の中に立つ「まなこ小さい童子」、まさしくゴオガンの世界か。

 s-アルストロメリア20171008

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 1913年作。母の臨終が迫っているときの歌。作者は「世尊が涅槃に入る時にも有像がこぞって嘆くところがある。私の慈母が現世を去らうという時、のどの赤き玄鳥のつがいひが来てゐたのも、何となく仏教的に感銘が深かった」と述べている。 
 茂吉は15歳(1896年)で浅草の精神科医斎藤紀一の養子候補として上京し、後年娘婿となるが、この歌は実家の母に捧げたもの。

 s-バラ20171008

 ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しくふりにけるかも

 1914年作。秩父山中の作と作者は言っている。養母勝子(斎藤紀一氏夫人)の郷里が秩父の皆野だった縁か。この年、養家斎藤氏の長女輝子(19歳)と結婚。
 
 s-トンボ20171008

 あまがへる鳴きこそいづれ照りとおほる五月の小野(をぬ)の青きなかより

 1916年作。佐太郎は「二句切れの形態が、『鳴きこそいづれ』と清く緊まっていて、そして『照りとほる五月の小野の青きなかより』という、諧調音が実にこころよく、朗らかなうちにかすかに悲しみがただよっている。」と評している。
  
 s-チョウ20171008

 電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ

 1917年作。佐太郎は「蛾が『電燈の光とどかぬ宵やみ』の向こうから飛んできたという感受にはいままで人の見なかった新しさがある」と評している。この年の12月、長崎医学専門学校へ赴任。長崎での生活は3年3ヶ月に及ぶ。
 
 s-ダリア20171008

 こほりつつ流るるにかあらし豊かなるドウナウのみづの音のさびしさ

 1922年1月、ウィーン大学神経学研究所へ。ここで1年半、留学生として暮らす。1923年4月、論文「麻痺性癡呆者の脳カルテ」が完成。同年7月、ミュンヘン大学に転学し、24年10月医学博士の学位を得て帰国の途に就く。

 わが父が老いてみまかりゆきしこと独逸の国にひたになげかふ 

 1923年7月、実父守谷伝右衛門が逝去。9月には新聞で関東大震災の発生を知る。

 s-サフラン20171008

 おどろきも悲しみも境過ぎつるか言絶えにけり天つ日のまへ

 1924年11月、日本へ向けてマルセイユを出港。12月31日、婚家の青山脳病院全焼の無線電報を受ける。住居、財産、書籍が灰燼に帰したばかりか、多数の入院患者も焼死。
 
 s-マルバコウ20171008

 ひかりさす松山のべを超えしかば苔よりいづるみづをのむなり

 1925年5月、近江番場の蓮華寺に薩応和尚を見舞ったときの作。薩応和尚は、茂吉の郷里の山形県堀田村金瓶の宝泉寺の住職だった人で、茂吉は幼少のときから親しんで少なからぬ影響を受けた。

 s-ホトケノザ20171008

 さ夜けて慈悲心鳥(ぶっぽうそう)のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに 

 1925年5月末、木曽福島へ。茂吉の自註に曰く「さうして夜鳥のこゑは鶯のごとき光明に向かふ性質ではなくて、闇黒にむかって沁み徹るやうな性質に思われる。そこで、『光に向かふこゑならなくに』といひ表した」。

 s-紫の花②20171008

 浅草のきさらぎ寒きゆふまぐれ石燈籠にねむる雞(とり)あり

 1,928年作。佐太郎の評では「『きさらぎ寒きゆうまぐれ』というあたりは、『きさらぎ』も『ゆうまぐれ』でも実語であるが、声調のうえではかえって虚語のような働きをしている。実語の多い歌だが、声調は固くならずに流動しているのはそのためである。」

 s-何かな20171008

 よひ闇のはかなかりける遠くより雷(らい)とどろきて海に降る雨

 1931年、熱海で療養中の作。佐太郎の評では「『はかなかりける』からすぐ『遠くより』と続くところ、『遠くより』からすぐ『雷とどろきて』と続くところは実に簡潔でいい。散文に替えることのできない韻文の味わいである。結句の『海に降る雨』がまた簡潔である。現実そのままをいってこのように簡浄で厚みがあるのは、やはり表現の極致といっていいだろう。」

 s-黄色の花20171008

 あまつ日の白き光のまばゆきに合歓の延ぶるはあはれなりけり 

 1932年作。佐太郎の評では「真夏にのびる若葉・若芽にもいままで人の注目しなかった『あはれ』がある。思いきり言葉をのべて息長くいって、しかも『白き光のまばゆきに』というように充実しているのがこの作家の歌である。この句から、単に若芽がのびているというだけでなく、それが日光に透きとおっているありさまさえうかがえるだろう。」
 
 s-赤い新葉20171008

 燕麦(からすむぎ)のなびきおきふす山畑(やまばたけ)晴れたりとおもふにはや曇りける 

 同年作。弟高橋四郎兵衛と共に北海道天塩国志文内に次兄守谷富太郎を訪問した。8/10、上野を発って山形・上ノ山へ。8/12、上ノ山発、函館、旭川を経て、8/14、宗谷本線佐久駅着。雨の中を4時間歩いて志文内に到る。富太郎は僻村の医師をしているた。
  
 s-クリ2017108

 過去帳を繰るがごとくにつぎつぎに血すぢを語りあふぞさびしき 

 同じく志文内で。「16,7年振りの会合ナリ」とのこと。親戚の誰彼の消息を語り合ったが、「年老いつつ鴉を打ちて食ひしとふ貧しきもののことをかたりつ」、「おとうとは酒のみながら祖父よりの遺伝のことをかたみにぞいふ」という作もある。
 
 s-エノコログサ20171008

 山がはのみづの荒浪みるときはなかに生(い)くらむ魚(うお)しおもほゆ

 同年8/23、富太郎、四郎兵衛と共に層雲峡に遊ぶ。「山がは」は層雲峡を流れる渓流。この作者は木曾の山中に行っても、最上川の岸辺に立っても、そこに棲む魚のことを思う。

 s-サクラ20171008

 嘴(はし)ながく飛びゆく鵜等をみてをればところ定まらず水にしづみき

 同年9月、北海道旅行の帰途、十和田に寄ったときの作。佐太郎の評では「鵜は長い嘴の先が鋭く曲がっている。それをいったのが「嘴ながく」という一句だが、すぐ『飛びゆく鵜等を』と二句に続く表現は、平凡な歌人にはできないところだろう。こだわりなくたけだけしい行動を写した下句も見事である。」

今回は「茂吉秀歌」の上巻から。次回は下巻へ。2回では収まらないかな? それぞれの歌に背景の説明、或いは佐藤佐太郎の評を付記したが、やはり眼前の短歌だけでは解釈・味わいが浅くなると思うので・・・。

 10/7は土浦の花火大会。3~4km離れたところから見たが、辺りはレンコン田。視界を遮るものはなく、十分に楽しめた。上空330mまで上昇し、直径300mの大輪を咲かせる10号玉は圧巻。来年は桟敷席で見るぞ!
 皆さま、急に涼しくなりました。お気をつけてお過ごしください。

 
 

 

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あきつ、てふてふ、帰れないウルトラマン

ここ数年、山学校のトンボと蝶の数が激減していて、心配です。
お隣さんのところはたくさん来るのかな?

一番下は桜の落ち葉?
ウルトラマンが酔っぱらって横向きに寝てるみたいだ。
ほら、3分過ぎてるぞ!

ビッキさん、確かに最後の写真はほろ酔いのウルトラマンですね。ご指摘の通り桜の落葉です。「3分過ぎている」ことは問題ではないのですが、カボチャの馬車が迎えに来る12時を過ぎても眠りにつかない「冬眠」を忘れたビッキ的生活を還太郎は案じておりまする。
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kantarou+5

Author:kantarou+5
週末の近郊里山徘徊を楽しみつつ、足腰の衰えを防止しています。読書やドライブも好きです。

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