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俗累の覊絏(ぞくるいのきせつ)

 「俗累の覊絏」。「俗累」は日常のこと、世間の煩わしいこと。「覊絏」はたづな、転じてつなぎとめること。漱石は「草枕」に曰く、「「俗累の覊絏牢として断ちがたきがゆえに・・・」。つまり、世俗の煩わしいことからはなかなか脱し難いと。 

 さて、今回は前田夕暮(明治16年7月27日~昭和26年4月20日。神奈川県出身)。テキストは「わが愛する歌人 第一集」(有斐閣新書・昭和53年8月刊)。解説は石本隆一。

 自然がずんずん体のなかを通過する---山、山、山
 s-日光連山20180107
 1/7、春日部日帰り。利根川に架かる芽吹大橋(茨城県坂東市と千葉県野田市を結ぶ)付近から、日光連山を望む。
 冒頭の短歌は、夕暮がはじめて旅客機に乗り、丹沢山塊の上空を飛んだ時の印象を詠んだもの。

 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月のなかなか遠くもあるかな
 s-緑の葉20180107
 (以下の写真は全て春日部・内牧公園にて)

 朝風に吹きあふらるる青樫のざわめくみれば既に春なり
 s-蓮20180107
 夕暮はその生涯に、いく度かの断念と再生を繰り返している。その最大のものは創刊して8年、会員700名近くを擁する「詩歌」を何の予告もなく「われとわが家に火を放つ」ように廃刊してしまったことであろう。
 
 
 朝はまだ冷たき山の五月なり朴の丸太のうす青みたる
 s-百舌20180107

 前田夕暮は、大正12年の元旦から1ヶ月ばかりの間に突如600余首を歌いだした。夕暮れは、それまで4年間ほどにわたって、率いる結社を廃し、歌壇とも離れ、逼塞するように山林経営に従っていたのだが、ふたたび堰を切ったように作歌者への意欲が湧出したのである。
 夕暮の歌には、青い色がきわめて多く詠み込まれている。それも緑を仮称する青ではなく、研ぎすまされたような青色が映しだされている。むしろ、光線そのもののもつ蒼白に近い色調かもしれない。夕暮は糖尿病と診断され、病に原因する白内障から、ものがみな青く見える青視症であったという。

 赤く錆びし小ひさき鍵を袂にし妻とあかるき夜の町に行く
 s-冬陽⑫20180107

 うす青くレーンコートを濡らして、芽吹きかけた雑木林を行く、雨上がり !
 s-冬陽⑪20180107

 こゝろよき飢えをそそりて新しき牡蠣ぞにほへる初秋のあさ
 s-冬陽⑩20180107

 五月の青樫の若葉が、ひときはこの村をあかるくする、朝風
 s-冬陽⑨20180107

 空にむかって、一せいに大きく口をあいている岩燕の朱い咽喉をみた
 s-冬陽⑧20180107

 山崩(なぎ)あとの一面あかき日の光雉子(きぎす)尾をひきいでて遊べる
 s-冬陽⑦20180107

 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
 s-冬陽⑥20180107

 路の辺の蕗のをさな葉つみとりて匂ひかぎをり若き日のごと
 s-冬陽④20180107

 麦の穂枝が白く光る季節となり、野はあかるく廻転窓をひらく
 s-冬陽③20180107

 山の秀にのこる日かげをみたりけり妻にもみよとわがいひしかも
 s-冬陽20180107②

 林間のうす青みたる朴の木の幹に歯をあて噛める馬あり
 s-冬陽20180107

 第二次大戦の戦中から戦後にかけて、老いた夕暮は疎開地の秩父山中で石塊だらけの荒土を開墾し、健康を大いに損ねている。そのときでさえ、その生活を決して虚勢ではなく、すなおに受け入れ、実際に楽しんでいる。
 
 老妻の待つらむ家に帰らなむふるさとに似しこの坂道を
 s-切株20180107

 摘みとればはやくろぐろと枯れそめぬ冬磯山の名も知らぬ草 
 s-ススキ20180107

 日の下の夢みる如き眼をあげて青き小いさき蛇われをみる 
 s-光の先に20180107

 山川の早瀬にのぞむ崖上の終の栖(ついのすみか)に夕日さしそふ

 「夕暮」の雅号は、新古今集にある西行の歌からとったとのこと。

 心なき身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮

 土浦市は現在(12:58)8℃。 陽がさしているが、15時以降は降水確率50%、17時以降80%、20時以降100%。 皆さま、お健やかにお過ごし願います。

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週末の近郊里山徘徊を楽しみつつ、足腰の衰えを防止しています。読書やドライブも好きです。

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