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円枘方鑿(えんぜいほうさく)

 「円枘方鑿」(えんぜいほうさく)は「円鑿方枘」(えんさくほうぜい)とも。物事がうまくかみ合わないことの譬え。「円鑿」は丸い穴のこと。「鑿」は穴をあけるという意味から、穴の意味にもなる。「方枘」は四角い枘という意味。「枘」は突起物。要するに、丸い穴に四角い棒を入れようとしても入らないということ(今年のタイトルは漱石の「草枕」の難解熟語)。
 今回の歌人は吉野秀雄。テキストは「わが愛する歌人 第二集」(有斐閣新書、昭和53年刊)。解説は片山貞美。

 吉野秀雄、明治35年7月3日~昭和42年7月13日。群馬県出身。生家は織物問屋。慶應義塾大在学中正岡子規の作歌と歌論に啓発されて短歌に志し、のちに会津八一に入門。終生病弱の上に家庭的な不幸にたびたび遭遇したが求道的作家生活を貫き、かたわら書道にもすぐれた。昭和33年読売文学賞、昭和42年第一回釈迢空賞などを受賞。

 s-白梅②20180304

 時あまりあたたかき酒を酌みゐしが出で来しちまた時雨降るなり(昭和11年)
詞句は古風だが、たとえば「時あまり」を二時間余と訳するには及ぶまいし、「ちまたに時雨降るなり」もあたかき酒」に応じて外気にふれた感じを読者は共感できる。「なり」など現代ではともすると古臭を発するが、こういう使用を見ると決してそうでないことがわかる。

 s-白梅20180304

 泰山木の高き梢に咲く花の花心をみむと二階より見つ(昭和13年)
泰山木の、見上げると高い梢に葉がくれになって咲いている玉碗のような花の内側の心(しん)を見たいものだと、二階に上がって覗き見た。「泰山木の」と六音で読むと、次の句「高き」とは少し離れるから作者の仰向くさまが現れる。「二階より見つ」の伏線である。「高き梢に咲く」とその通り空気がきれいだが、「花の花心を」に至って清浄でなまなましくゆたかな自然の本体にふれる思いをさせられる。「二階より見つ」はそれが現実のことであるのを言いおさえることで花の美しさをいっそう充実させている。

 s-赤い芽20180304

 「奈良博物館諸像」
 みほとけは五体失せにし心木もて千とせの末のいまもすがしき
み仏は頭・頸・胸・手・足がなくなってしまって、残った心木によってだが、千年も時のたった末の今でもすがすがしさに充ちておいでだ。

 s-新緑②20180304

 「東大寺三月堂」
 胸ひろに不空羂索(ふくうけんじゃく)立ちませば梵釈二光四王し控ふ
 不空羂索観世音を中心に、梵天・帝釈天・日光菩薩・月光菩薩・持国天王・増長天王・広目天王・多聞天王が前後左右に立ち並ぶ。まず「ふくうけんじゃく」という音声のひびきに発想の価値があろうし、つづく「ぼんしゃくにこうしおう」という渋い穏やかな音声は、かれが「立つ」に対しての動作「控ふ」に適応した表現となっている。

 s-新緑20180304

 「建長寺仏生会」
 春の雨大悲のごとく降り足れば老柏槇(ろうびゃくしん)の葉は雫せり
 春の雨はみ仏が衆生の苦を救抜したまう大悲を思わせてゆたかに降って万物うるおい、老樹柏槇の葉は雫をあまして滴っている。「大悲」とは「大慈」と並べて唱え、「慈」は衆生に楽しみを与えること、「非」は衆生の悲しみを抜くことを言う。
 一首の眼目は「大悲」であるが、「春の雨」「降り足れば」はその具体的な実現であり、「老柏槇」はその樹幹に百錬万鍛を経た人格を思わせて老巧だし、その葉は繊美で潤おい、その余沢は「雫せり」に描き尽くされる。

 s-紅梅20180304

 贅肉(あまりじし)なき肉(しし)置きの婀娜(たをやか)にみ面もみ腰もただうつつなし
奈良・秋篠寺の伎芸天を写した。「贅肉」を「余り肉」とくだき「たおやか」に「婀娜」の字を用いた。やまとことばに統一したわけであるが、そればかりでは異国渡来の趣味が失われるから漢字表現を加えたのであろう。実際を見れば「二百二、三十センチか、頭部は天平の乾漆製、体躯は鎌倉の寄木造り」といった乾漆面の享感と立像の日本人にはない体躯の量感をわたしは受け取るのである。「清純で端麗で、しかも婀娜なふぜいに富んでゐる」「あだっぽいうへに、さらに憂ひをふくみ、これがもろもろを悩殺する」と作者は言う。

 s-春を待つ20180212

 幼子は死にゆく母とつゆ知らで釣りこし魚の魚籃(びく)を覗くかす
昭和19年8月。作者の妻女が42歳で永眠。昭和22年になって発表された「これやこの一期のいのち炎立(ほむらだち)せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹」は、歌壇の耳目を強く驚かした。

 s-紅梅③20180304

 重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け
「重吉」は詩人八木重吉。重吉の妻と作者は再婚した。一日、新夫婦は重吉の墓前に冥福を祈った。一首の表現は対象を叙するに素朴で率直であらわに明るく、作者の妻をいたわる誠実な気持ちがほとばしっている。

 s-紅梅②20180304

 「瑞泉寺の春」
 山陰の清水を祝ふ輪飾りは丹の椿咲く枝にかかれり
一首どことなく俳味が感じられ、これも吉野秀雄の特色である。「輪飾り」は季語であるけれども、季語だからといってただちに俳趣を帯びはしない。ただ対象が新年における寺の習俗のひとつであって、叙し方が純客観的で、いわば「花鳥諷詠」的なのである。
 s-春芽20180304
 
 蕾張る老梅の下の玉笹に年あらたなる日は射しにほふ(昭和8年)
印象が濃くて明快で、超俗的でもある。

s-ホトケノザ20180304

 虚子の居を厨より訪へば女中らが栗剥けり翁は栗飯食ふらし(昭和33年かな)
秀雄の文がある。「自分の歌集を持って虚子庵をおとづれたが、普請の最中だつたので、勝手口で翁の桃色のお顔を仰ぎ、数語交はしただけで辞去した。女中さんが二人、栗をむいていた。翁は栗めしを食べて一句作るのだろうかなどと思った」。
歌は文に書かれた事実そのままを写して直接端的。目前にするごとくで、しかも「らし」は作者の心裏を写したので虚子翁を目前にしていないさまである。想像裏に虚子の起居が現れる。作者は勝手口にあり、女中たちはその台所で栗をむき、奥では、となって場面は立体的となる。活写といってよい。
 s-ナズナ20180304

 3月4日、昨日に続き好天。アパートの部屋のシクラメンも伸び伸びしてる。  
 s-シクラメン20180304

 はるや春。皆さま、よい春をお過ごしください。

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還太郎+7

Author:還太郎+7
畑や庭での作業を楽しんで、晩酌・早寝・早起きの毎日です。読書やドライブも好きです。

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