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庚申塔から青面金剛へ

 新春U公園散策(1月5日)

 この道を往くはひとりと思いなば先往く人の踏み跡しるくあらたまの陽に輝ける霜柱あり
 (何のこっちゃ? ご詠歌か?)  

 霜柱130105

 鳥たちも新年の記念撮影
 
 中には尻を向けているものも、食事しているものもいるが、今日はとりわけ撮影に協力的でした。
 メジロ。スズメ目メジロ科。珍しく雌雄同色。英語では「White-eye」、中国語では「繍眼鳥」。
 
 メジロ130105
 
 いよいよ柿の実も少なくなってきた。むしろ、実が残っている木は僅か。坪内稔典さんの『柿日和」』(岩波書店)は柿に関する様々なことが取り上げられていて楽しい。
 芭蕉は「里古りて柿の木持たぬ家もなし」と。有吉佐和子は『紀ノ川』に「紀元の家には庭の真ん中に大きな柿の木があった。葉が繁って、木の下にまるで青い海ができたような午後であった」と紀ノ川の上流の里を描く。
 昔は嫁ぐとき実家の柿の枝を持ち、婚家の柿の木に接いだ由。そう教えていただくと、芭蕉の句も味わい深くなる。坪内さんは佛教大学文学部教授。

 スズメ目アトリ科の「シメ」。山と渓谷社の「日本の野鳥」にはスズメ目の鳥の紹介が196ページもシメ(占め)ているが、首周りのデザイン、嘴の形、そして若干地味な色合いからして「シメ」♀ではと思う。

 ヒワかな130105

 「バン」。小ぶりのバン(ライトバンなんちゃって)が三羽採食中。この夏に誕生した幼鳥かも知れないが、赤い「額板」は繁殖期の印。この時期に繁殖はあるまい・・・。夏に見た親鳥よりは確かに小ぶり。
 バンの子かな130105

 「コサギ」。胸の飾り羽が風にそよぐ。

 コサギ130105

 「アオサギ」。飾り羽が立派。新春の晴れ着? 鬚もじゃの古老オランウータンのような貫禄。英語では「Gray Heron」(灰色の鷺)。たしかに青というよりは灰色。

 アオサギ130105

 落葉樹はすっかり葉を落とし逆さまの竹ぼうき状態になっているが、照葉樹は新春の陽を浴びて艶やかに輝く。

 照葉樹130105

 昨晩は「ネコヤナギ」ではないと報告しましたが、「コブシ」と判明。モクレン科モクレン属。花は葉の展開の前に木全体が白く見えるほど咲き、冬枯れの山野でよく目立つ。枝を折ると芳香が湧出する。アイヌ語では「オマウクシニ」、「オブケニ」と呼ばれ、それぞれ「よい匂いを出す木」、「放屁する木」の意とか。
 
 春来たるらし130105

 正体は「青面金剛」と判明 

 以下、昨年12月9日報告のおさらい。
 U公園がある村落の四つ角に立つ「愛染明王」?。愛染明王はふつうハスの上にお座りですが、6本の手をお持ちになり、しかも左手には人間の首をぶら下げている?となると、やはり「愛染明王」かな。はっきりしないが「寛政十弐年(1800年)弐月祥日」と左側面に刻されているように見える。この像については継続調査する。
 
 愛染明王かな121209

 継続調査結果。この石碑の右側面に「奉建立庚申供養塔」とある。石像の足は四つんばいの「邪鬼」のようなものを踏みつけている。更にその下には両手を合わせて拝んでいる人のような形も見える(左端)。
 
 庚申塔については昨年下記の報告をした。
 庚申塔:中国から伝来した道教に由来する「庚申信仰」に基づいて建てられた石塔。「庚申講」(庚申待ち)とは、人間の体内にいる「三尸」(さんし)の虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告に行くのを防ぐために、庚申の日は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をする風習。

 改めて「庚申塔」を調べてみると、概略は上記の通りであるが、仏教では、庚申の本尊は「青面金剛」(しょうめんこんごう)とされる由。
 (以下、Wikipediaから)
 「青面金剛」は頭髪の逆立った像もあれば僧形、頭巾姿などいろいろあり、表情も憤怒の相から慈悲の相まで千差万別。腕の数は、二臂から八臂まで。持物は三叉戟、棒、法輪、羂索、弓矢、剣、杖、鉈など。変わったものとしては、「ショケラ」と呼ばれる上半身裸の女人像の頭髪をつかんでぶら下げているものもある。

 青面金剛

 さらに、頭髪の間で蛇がとぐろを巻いたり、手足に絡みついているものもある。一番下の猿は「庚申」の「申」は12支では「猿」であり、「三尸」(さんし)の虫が天帝に余計なことを報告しないよう「見ざる、言わざる、聞かざる」を願ったという。脚の両側に配された鶏は「鶏鳴の聞こえるまで=朝まで」籠ることを示しているとも。
 「ショケラ」は「商羯羅天」のことで、即ちヒンドゥー教のシヴァ神というから、話は何処までも広がるが、以下略。

  哲学的教理を乗り越えて、直ちに宗教の実質を掴む
 
 長谷川如是閑氏は「日本さまざま」の中で、こう述べておられる。
 古代から日本人の、シナやインドの思想の受け容れ方は、徹頭徹尾実践的で、「絶対理念」の観念遊戯にふけることはしなかった。(中略)インド伝来の仏教の教理など、素人には呑み込めないような思想や言葉で語られなければならないものだが、それを「南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生疑いなし」というような、簡単明瞭な受け容れ方をした真宗が最も大衆的の宗教となったのもその理由だった。
 哲学的教理を乗り越えて、直ちに宗教の実質を掴むのが、日本人の宗教の受け容れ方で、むずかしい教理の哲学を飛び越えて「極楽往生」するのである。実はそれが宗教の真諦でもあって、教理の「八幡の薮」に迷い込んでは、ついに「極楽」をみうしなってしまうであろう。


 *長谷川如是閑「日本さまざま」。大法輪閣出版。手元の本は昭和37年発行、500円。「ビッキ@山学校」氏から拝領。

 長口舌、乞うご容赦!  ブログの全文を七五調で書いたら面白かろうと挑戦したものの、一行目で断念した還太郎でした。今回はここまで。
 

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明けまして おめでとう ございます
今年も人生のうちの思い出深い一年となりますように・・・・
健康で好きなことができればいいですね。

2枚めはシメです。
以前はこの嘴あつぼった系が苦手でしたが、
今はシメもイカルも好きです。

昨日、山でオオルリとウソのオスを見ました♪
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還太郎+7

Author:還太郎+7
畑や庭での作業を楽しんで、晩酌・早寝・早起きの毎日です。読書やドライブも好きです。

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